2018年2月28日水曜日

尾上松也の謎解き歴史ミステリー 第27回 なぜ平清盛は頂点に昇りつめたのか?

尾上松也の謎解き歴史ミステリー 第27回 なぜ平清盛は頂点に昇りつめたのか?
が2月28日に再放映されました。

成り上がりの暴君・傲慢な性格の持ち主だというイメージが強いですが、
日宋貿易に見られるような財政基盤の開拓、宋銭を日本国内で流通させ通貨経済の基礎を築き、経が島築造に見られる公共事業の推進、時代の矛盾に行き詰まりつつあった貴族政治を打ち破り、(貴族的要素が強いとは言え)日本初の武家政権を打ち立てるなど、
優れた功績も多く残しています。
中途で失敗に終わってしまったとはいえ、福原(今の神戸)に目をつけ、交易を通じて第二の都として発展させようとしたことから、先見性も高かったと思います。

最低限平氏にあらずんば人にあらず」と言ったのは清盛ではなく、
妻の弟である平時忠であったという事実くらいは皆に知ってもらいたいです。

視聴率はさっぱりですが、2012年の大河ドラマの「平清盛」では実際の清盛像を
描きたがったのではないでしょうか。

2018年2月27日火曜日

先人たちの底力 知恵泉 「酒との上手なつきあい方 日本人と酒」

先人たちの底力 知恵泉 「酒との上手なつきあい方 日本人と酒」が2月26日に放映されました。




日本人と酒との関わりと説明する会でした。日本第一酒造神として名高い松尾神社に出演者が出かけていました。
後醍醐天皇の鎌倉幕府打倒の企ての時の無礼講のエピソードが面白かったです。

2018年2月26日月曜日

にっぽん!歴史鑑定 #149「2・26事件 緊迫の4日間」

にっぽん!歴史鑑定 #149「2・26事件 緊迫の4日間」が2月26日に放映されました。


2.26事件の4日間だけでなくその背景まで説明してありました。
反乱軍に参加した多くの下士官が自分たちが反乱軍になっていることを自覚していなかったという事実は意外でした。


2018年2月25日日曜日

大河ドラマ 西郷どん 第8回「不吉な嫁」

大河ドラマ 西郷どん 第8回「不吉な嫁」が2月25日に放映されました。


江戸の行くことになった西郷吉之助が江戸に行くために費用捻出のために
奔走する話でした。

橋本愛さんが演じる妻の須賀さんが離縁する手切れ金として、
江戸に行くための費用を出すという演出でした。

風林火山 第47回 決戦前夜

風林火山 第47回 決戦前夜 が2月25日に放映されました。


関東出兵から帰国した上杉軍が予想に反して、すぐに川中島に出兵する
話でした。武田は築城した海津城を中心に対応を進めます。

2018年2月22日木曜日

片岡愛之助の解明!歴史捜査  #76 武田氏はなぜ滅亡したのか? 信長VS勝頼の真実を追え!

片岡愛之助の解明!歴史捜査  #76 武田氏はなぜ滅亡したのか? 信長VS勝頼の真実を追え! が2月22日に再放送されました。


武田信玄公の死より10年で武田家を滅亡させてしまった。
武田勝頼を検証する内容でした。
長篠の合戦で多くの家臣団を失ったことが原因だと思っていましたが、
甲越同盟によって相模の北条家との甲相同盟が破綻したことが直接の原因と説明されました。甲相同盟が破綻して東西から挟まれる形になり高天神城に援軍を出すことが出来なくなり、それが元で家臣団の離反が進んだようです。
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵」と父信玄の名言通り、
家臣団の離反によりお家を守ることが出来なかったようです。



英雄たちの選択 「真説!北の関ヶ原合戦~直江兼続VS.最上義光~」

英雄たちの選択 「真説!北の関ヶ原合戦~直江兼続VS.最上義光~」
が2月22日に放映されました。


「北の関ヶ原」といわれる戦い長谷堂城の戦いを中心とした話でした。
生誕からの生い立ちについては2009年の大河ドラマの天地人で知っていた内容でした。
有名な直江状から会津征伐まで細かく説明してありました。

石田三成挙兵の報を受けて、引き換えした徳川軍を間髪入れずに上杉軍が追撃出来ていたら歴史が変わっていたかも知れません。


2018年2月21日水曜日

尾上松也の謎解き歴史ミステリー 第25回 徳川家康は2度死んだ?

尾上松也の謎解き歴史ミステリー 第25回 徳川家康は2度死んだ?
が2月28日に再放映されました。


徳川家康の影武者伝説の内で、大阪夏の陣で家康が死んだという説の話でした。

徳川家康の影武者伝説は3つの説があるようです。
①村岡素一郎が『史疑 徳川家康事蹟』で記した桶狭間の戦いのあとに世良田二郎三郎元信という、全くの別人が成り代わった説
②隆慶一郎の小説『影武者徳川家康』で家康が1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの際に暗殺され、その後は影武者・世良田二郎三郎が代役として家康に成り代わったという説。 この説は原哲夫による漫画にもなっており、西田敏行さん主演のドラマにもなっています。
 ③大阪夏の陣で真田信繁(幸村)の奮戦で、駕籠で逃亡中に後藤基次(又兵衛)の槍で討たれたという説

原哲夫の漫画を読んでいたので懐かしいと思いました。

2018年2月20日火曜日

先人たちの底力 知恵泉 「上杉謙信、武田信玄、毛利元就 最強組織術SP」

先人たちの底力 知恵泉 「上杉謙信、武田信玄、毛利元就 最強組織術SP」
が2月20日放映されました。


上杉謙信と武田信玄を比較する番組はよくありますが、
毛利元就まで加えて比較したのは珍しいかと思います。

最終的に明治維新まで続いた毛利家の後継者作りが良かったのかも知れません。

2018年2月19日月曜日

にっぽん!歴史鑑定 #148「新選組・最後の戦い」

にっぽん!歴史鑑定 #148「新選組・最後の戦い」が2月19日に放映されました。


新撰組が一番脚光を浴びるのは池田屋事件などが有名ですが、
どちらかというと落ち目になる鳥羽伏見の戦いより後の戊辰戦争の中での新撰組に注目した内容でした。

鳥羽伏見の戦いで敗退し軍艦で江戸に帰還するがその時隊士の脱走が相次いで、その時すでに戦力は低下していました。恭順派として徳川慶喜公から全権を委任されていた勝海舟より甲陽鎮撫隊と改称して甲州の鎮撫を命じられて派遣されましたが、これは一種のやっかい払いだったようです。
甲州勝沼の戦いでも敗退して流山に移動したところで近藤勇が捕縛されてしまい斬首となり、最終の函館戦争で土方歳三が戦死して新政府軍に降伏します。

最後は切ないですが、そういう部分が今も新撰組が人気な理由かと思います。

2018年2月18日日曜日

大河ドラマ 西郷どん 第7回「背中の母」

大河ドラマ 西郷どん 第7回「背中の母」が2月18日に放映されました。



西郷隆盛公の母上が労咳がおかされて、1回目の結婚する話でした。
風間杜夫さんと松坂慶子さんクラスの俳優さんがそんなに長く出演するわけないと
思っていましたがお2人とも同じ回までとは予想していなかったです。

1人目の妻の須賀さんを橋本愛さんが演じています。

風林火山 第46回 関東出兵

風林火山 第46回 関東出兵 が2月18日に放映されました。


永禄4年(1561年)の関東出兵と関東管領就任式して長尾景虎から上杉政虎に改名します。ここまでGACKTさんが神秘的に演じてきましたが、増長していく姿が描かれます。

小田原城攻防のさなかの昼時、政虎が蓮池の端に馬を繋ぎ、持参した弁当を広げて、小田原城の眼前で昼食をとりはじめた。これを見た北条方が10挺の鉄砲隊で2度、その謙信目掛けて撃ちかけたが、弾丸は鎧の袖は撃ち抜ちぬくものの謙信に当たることはなく、謙信はその状況で悠々と茶を3杯飲みながら食事を続けた

という逸話と、鎌倉で関東管領就任式の際、他の諸将が腰を屈めて参礼する中、名門の出であった成田長泰は騎馬上で参礼するのが常となっていた。しかしそのことを知らなかった政虎はこれを無礼に思い、扇子で顔を叩いた
という2つの有名な逸話も描かれていました。

2018年2月15日木曜日

片岡愛之助の解明!歴史捜査  #102 豊臣家崩壊のカウントダウン! 茶々・秀頼・片桐且元 決裂までの13日間の真実を追え!

片岡愛之助の解明!歴史捜査  #102 豊臣家崩壊のカウントダウン! 茶々・秀頼・片桐且元 決裂までの13日間の真実を追え! が2月15日に放映されました。


関が原の戦いから大阪の陣で豊臣家が滅ぶまでの15年間豊臣家を
支えた続けた片桐且元の話でした。

徳川家康公より豊臣直轄地を管轄する国奉行とも言える立場にも任じられており、
徳川家と豊臣家のパイプ役として欠かせない人物だったようです。

この人物を豊臣家より離反させるために計略が張り巡らされたようです。
有名な"方広寺鐘銘事件"ですが、駿府の家康公に釈明に赴くが10日間会見を許されずに
止め置かれて、あとから来た大蔵卿がすんなりと面会を許されてしますのです。
この時家康公は機嫌が良かったそうです。

すんなりと面会を許されてた家康公は機嫌が良かったと大蔵卿が報告していたのに対して、且元の持ち帰った徳川側の条件を改めて大阪城に持ち帰ると、その厳しい内容に
内通を疑われてしまいます。城内で暗殺計画も知らされてやむなく大阪城を退去しました。こうして片桐且元という支えを失った豊臣家は大阪の陣に突き進んで行くことになります。

まさに「水を混ぜて魚を摸(と)る」の計略ですが、
改めて徳川家康公の豊臣家を滅亡の意思の堅さを感じました。

英雄たちの選択「戦国最大の悪人 松永久秀の真実」

英雄たちの選択「戦国最大の悪人 松永久秀の真実」が2月15日に放映されました。


将軍を暗殺し、東大寺大仏殿を焼き、織田信長に二度の反逆、
戦国最大の悪人と云われた松永久秀の文化人としての面に着目した内容でした。
松永久秀は、出自が明らかでなく前半生は良く分かっておらず一代での出世した傑出した人物であったようです。

将軍の足利義輝の暗殺の首謀者のような印象がありますが嫡男の久通が実際の襲撃に参加はしているが久秀本人は大和国にいたので首謀者とは言えないと思われます。

東大寺大仏殿の焼失も、東大寺大仏殿の戦いのときに相手方である三好三人衆側の失火であって「戦国時代に仏頭は松永久秀の兵火によって焼き落とされ」と紹介されていたり、織田信長が徳川家康に松永久秀を紹介する時に、三悪事の1つとして東大寺大仏を焼討したと紹介して、久秀が焼討したと現在でも語られているのは事実と異なるようです。

織田信長に二度の反逆について、ゲームの信長の野望でも「義理」のパラメーターが最低のようですが、元々の主家である三好家には一度も背いていません。織田信長への臣従そのものがそもそも本意ではなかったのでしょう。

三好政権の中での優れた行政手腕や、文化人のしての側面などは殆ど無視されて戦国最大の悪人とまで称されてしまうのは松永家が断絶して擁護する意見などが出ず、勝者によって必要以上に貶められた人物だっただと思いました。

2018年2月14日水曜日

尾上松也の謎解き歴史ミステリー 第39回 日本画の革命児・雪舟 国宝の絵に隠された謎

尾上松也の謎解き歴史ミステリー 第39回 日本画の革命児・雪舟 国宝の絵に隠された謎が2月14日に放映されました。


6点もの作品が国宝に指定されており、日本の絵画史で別格の評価を受けていますがよく知りませんでした。武家の家に生まれたようですが、文芸で身を立てる唯一の方法である寺に入り禅僧になりましたが「雪舟」は号です。
10歳頃の京都五山の第2位の相国寺に移り、禅と絵を学んだということは、よほどの人物だったかと思われます。
しかしながら京都では身を立てることが出来なかったようで24歳頃に周防国の守護大名の大内氏の庇護を受けてから活躍して行ったようです。

代表作である天橋立図にも興味深い説の説明がありました。
まず現存する天橋立図が下絵であったというのもの、そしてベストのアングルから描かれていないのに描く以外に理由があったというものです。

大内氏の軍事戦略のための諜報活動として地形図を描いたという説でした。
これもまた興味深い内容でした。




2018年2月13日火曜日

先人たちの底力 知恵泉 「しがらみから独立~福澤諭吉 新しい世界の切り開き方~」

先人たちの底力 知恵泉 「しがらみから独立~福澤諭吉 新しい世界の切り開き方~」
が2月13日に放映されました。


慶應義塾大学の創始者で、一万円札の肖像画と「学問のすゝめ」のくらいしか
実は知らなかった人物です。
大胆なことをやった人物だったというのが感想です。
現在の毎日新聞に合併された時事新報で、初めて天気予報を掲載したなど親近感がわきました。

2018年2月12日月曜日

にっぽん!歴史鑑定 #147「陰陽師・安倍晴明の実像」

にっぽん!歴史鑑定 #147「陰陽師・安倍晴明の実像」が2月12日に放映されました。


弘法大師の空海ほどではないけれど神格化された人物のひとりかと思います。
野村萬斎さんの演じる怨霊や妖怪を倒すイメージが強いです。
陰陽寮という組織の官僚でしたが、出世は以外に遅く40歳を過ぎたころから頭角を現したようです。陰陽師として名声を極めて従四位下となり安倍氏は晴明一代の間に師である忠行の賀茂氏と並ぶ陰陽道の家としての地位を確立しました。

死後すぐに邸宅が晴明神社になるなど神格化が進みましたが、その子孫も陰陽師として代々朝廷に仕えてます。子孫は土御門家として明治の維新まで続き明治3年(1870年)に陰陽寮が廃止された時に子爵に叙せられています。



2018年2月11日日曜日

大河ドラマ 西郷どん 第6回「謎の漂流者」

大河ドラマ 西郷どん 第6回「謎の漂流者」が2月11日に放映されました。


ジョン万次郎(中濱 萬次郎が嘉永4年(1851年)に牢屋で出会うというエピソード
でした。藩主の斉彬公には自ら万次郎に海外の情勢や文化等について質問した。
斉彬の命により、藩士や船大工らに洋式の造船術や航海術について教示、
その後、薩摩藩はその情報を元に和洋折衷船の越通船を建造した。
斉彬公は万次郎の英語・造船知識に注目し、後に薩摩藩の洋学校(開成所)の英語講師として招いたそうですが、隆盛公と出会っていたのかは分かりません。

隆盛公が牢屋で出会ったジョン万次郎を斉彬公に引き合わせた功で、大久保利通公と父親を免じる願いをしていました。

風林火山 第45回 謀略!桶狭間

風林火山 第45回 謀略!桶狭間 が2月11日に放映されました。


前週に竜王丸を信玄暗殺を唆した駿河の寿佳尼への報復として、
山本勘助が報復するという話でした。

創作であると思われますが山本勘助が今川義元に桶狭間を通るルートを
選択させたという話でした。

桶狭間の合戦では今川軍の侵攻ルートに疑問を呈する人が多いのも事実です。

2018年2月8日木曜日

片岡愛之助の解明!歴史捜査  #101 大坂炎上!大塩は何と戦ったのか? 大塩平八郎の乱の真実を追跡せよ!

片岡愛之助の解明!歴史捜査  #101 大坂炎上!大塩は何と戦ったのか? 大塩平八郎の乱の真実を追跡せよ! が2月8日に放映されました。


大塩平八郎が現代でいうノンキャリである大阪奉行所の与力でしたが、
正義漢として不正を暴いていました。
大塩を重用していた高井 実徳が江戸に栄転したことを機に、
大阪奉行所を辞して私塾で門弟を指導していました。

通説では、飢饉で民衆が喘ぐ中で豪商が米を買い占めて江戸に送っていたことに対し、
大塩平八郎が蜂起したことになっています。

大塩平八郎が蜂起する前に、幕府老中、水戸藩主徳川斉昭、昌平坂学問所林述斎あて
出していた建議書には九割九分までは、「不正無尽」の証拠を示すデータの羅列でした。
無尽とは、一定の口数と給付金額を定め、加入者を集めて定期に掛け金を払い込ませ、
抽選や入札により金品を給付することですが、胴元の上がりである収益金は約3割でした。
現代でいうと宝くじに近いものであったようです。
この上がりが幕府のキャリア組に上納されて賄賂の温床となっていました。

これに怒り大塩平八郎は蜂起しますが、蜂起直前に門弟の中から内部通報者が出て、
目的は果たすことなく終わってしまいます。

大塩平八郎の乱では、天満を中心とした大坂市中の5分の1が焼失し、当時の大坂の人口約36万人の5分の1に当たる7万人程度が焼け出され、焼死者は少なくとも270人以上であったそうです。もう一つ現在の宝くじの収益金の配分ですが地方自治体などの収益金は39.9%だそうです。



英雄たちの選択・選「関ヶ原・抜け駆けか同士討ちか?井伊直政の決断」

英雄たちの選択・選「関ヶ原・抜け駆けか同士討ちか?井伊直政の決断」
が2月8日に放映されました。



関ケ原の合戦の時に井伊直政が、先陣に決まっていた福島正則を抜け駆けしたことを
検証する話でした。
戦国時代は、抜け駆けは共通の御法度でしたが、井伊直政は抜け駆けしました。
関ケ原の合戦では、中山道を進んだ徳川本隊が遅参しておりました。
本戦でも豊臣恩顧の大名の手柄だけで勝利してしまうと戦後処理において徳川の論功行賞
に意見をだされてしまうという理由だそうですが抜け駆けについては不問にされています。

井伊直政は、徳川譜代の家臣ではありませんが四天王と言われるまでに重用されたのは、
その生い立ちにあり幼き頃に7年間も鳳来寺で教養を深めていのが理由の一つだそうです。
戦場の武功だけでなく外交面でも力を発揮できる稀有な武将であり、戦略の要衝である彦根に徳川家臣で一番の所領を賜りました。




2018年2月7日水曜日

尾上松也の謎解き歴史ミステリー 第38回 加賀百万石 金箔に彩られた繁栄の謎

尾上松也の謎解き歴史ミステリー 第38回 加賀百万石 金箔に彩られた繁栄の謎
が2月7日に放映されました。


戦国ナンバー2として、加賀前田家が徳川に逆らわなかったことが徳川の治世を
長引かせた最大の功績だと思います。
そう言いながら金沢城の堅固さは実際に戦闘には使われなかったものの凄いものだったかと思います。

藩祖前田利家織田信長から能登1国を与えられたのが始まりで、
豊臣秀吉からと加増された。
その子利長は関ヶ原の戦いで徳川方についてさらに加増され、
120万石に及んだ。
3代藩主利常が小松に隠居した際、次男利次に富山藩10万石、3男利治に大聖寺藩7万石を分封、加賀藩は103万石弱となった。
以後その石高で明治維新まで14代が続いた。
2代藩主の利長は、謀反の疑いを掛けられながら外交力で乗り切り、
利常と5代綱紀は学問や工芸を奨励、利常のときにつくられた池と数寄屋は、
12代斉広、13代斉泰(なりやす)の時代に大規模に造営され、
回遊式庭園の兼六園が完成したそうです。

藩主の正室の大半を徳川家から迎える強かさで明治維新まで家を守り切りました。

ブラタモリ #94 東京・吉祥寺

ブラタモリ #94 東京・吉祥寺 が2月7日に再放送されました。


東京で近いのですが、タモリさんはあまり来たことのない町だそうです。
1657年の明暦の大火で江戸諏訪元町の諏訪山吉祥寺の門前町で焼け出されてた人々
のために投資計画に基づいて再建されたのが今の吉祥寺の始まりだそうです。

近くの井の頭公園の中の井の頭池は、豊な湧き水を持っていて現在の神田川から江戸に水を供給していました。
但しそれより高い位置の武蔵野台地は水利が悪く無人でしたが多摩川用水の開通により開墾が進んでいった歴史になります。東西に走っている中央線から見ると街並みが斜めに見えるのは、その玉川上水と並行して走っている五日市街道に沿って区画されているからだそうです。

2018年2月6日火曜日

先人たちの底力 知恵泉 「勇気を出して声をあげよう 日系人F・コレマツの戦い」

先人たちの底力 知恵泉 「勇気を出して声をあげよう 日系人F・コレマツの戦い」
が2月6日に放映されました。


公民権運動家のフレット・コレマツさんの話でした。
「太平洋戦争中の日系人強制収容は人種差別だ」と国を訴え戦った。孤立を恐れず声を上げ、尊敬を集めた感動の勇気。

1943年12月に有罪を受けてから約40年後の1983年に有罪判決は無効との決定により
コレマツさんの犯罪歴は抹消され名誉が回復されました。
有罪を受けてから30年間は沈黙を守り、大企業や公職には就くことことが出来なかったのでその代償は大きかったと思います。

1998年にアメリカにおける文民向けの最高位の勲章である大統領自由勲章を受章していますが、「間違いだと思うならば、声を上げることを恐れてはならない」という言葉を残しています。

2018年2月5日月曜日

にっぽん!歴史鑑定 #146「家康の知恵袋・本多正信」

にっぽん!歴史鑑定 #146「家康の知恵袋・本多正信」が2月5日に放映されました。


事前の予習との本放送の内容で大きな違いはありませんでした。
関ケ原の合戦前に、石田三成を7将から守ったのは石田三成に反徳川勢力を結集されて一網打尽にする為だったのは本多正信の謀略であったという主張には興味が惹かれました。


2018年2月4日日曜日

大河ドラマ 西郷どん 第5回「相撲じゃ!相撲じゃ!」

大河ドラマ 西郷どん 第5回「相撲じゃ!相撲じゃ!」が2月4日に放映されました。



新藩主斉彬(渡辺謙)就任を祝う御前相撲が開かれ、於一(北川景子)が見守る中、西郷吉之助(鈴木亮平)は正助(瑛太)のため、絶対負けられない試合に臨むという話でした。

今回の大河ドラマの最期で重要なシーンになる後の北川景子さん演じる天璋院篤姫が初登場しました。
絶対にありませんが、渡辺謙さんと鈴木亮平さんの相撲のシーンは良かったです。

風林火山 第44回 信玄暗殺

風林火山 第44回 信玄暗殺が2月4日に放映されました。


駿河に預けられていた虎王丸が信玄を暗殺しようとする話でした。
虎王丸は、諏訪頼重と武田信玄との間に生まれた嫡男で諏訪家が武田に攻略されていなければ諏訪家を継ぐ立場にありましたが最期をどうなかったか記録がないようです。

虎王丸を演じていたのは、当時21才だった柄本佑さんですがなかなかの大根ぶりでした。

2018年2月3日土曜日

にっぽん!歴史鑑定 #146「家康の知恵袋・本多正信」の予習

にっぽん!歴史鑑定 #146「家康の知恵袋・本多正信」が2月5日に放映予定です。


大河ドラマでは、神山 繁さん、草刈 正雄さん、近藤 正臣さん、六角 精児さん
が演じているのが記憶に残っているが、今は近藤 正臣さんのイメージが一番強いです。

徳川家康公をして、「友」と呼ばせたほど信頼され重用された人物ですが、
若き日の三河一致の時に、家康公に反旗を翻して徳川家を出奔して7年から18年間ほど流浪していたそうです。

初期の幕政を司ったことは確かですが、怨みや嫉みを買い、身の破滅になると自戒し所領は功績に対して少なく加増を断っていたそうです。嫡男の正純にも加増を断るよう遺言していましたが後に宇都宮に15万5000石で加増されたあとに失脚して不幸な最期を迎えます。

2016年の真田丸の最終回で全くの創作ですが、堺雅人さん演じる真田信繁(幸村)が最期を迎えるシーンと並行して近藤正臣さん演じる本多正信と大泉洋さん演がじる真田信之が並んで歩いていくシーンがありました。戦国が終わって武勇の武将が活躍する時代も終わるという脚本家の三谷幸喜さんメッセージを強く感じたのを覚えています。




ブラタモリ #97 有馬温泉

ブラタモリ #97 有馬温泉が2月3日に放映されました。



日本の有数の人気の温泉地である有馬温泉に訪れました。
有馬温泉の湯の色は赤であるのは鉄分で保温効果がり、塩分は保湿効果、炭酸は血行促進の効果があるそうです。

有馬温泉は記録では日本一古い温泉ということで日本書記にも記録があります。
ことに豊臣秀吉は有馬温泉を直轄地するほど有馬温泉LOVEだっとそうです。

2018年2月2日金曜日

片岡愛之助の解明!歴史捜査  #76 幕末の争乱シリーズ 352人斬首!天狗党の乱とは何だったのか?

片岡愛之助の解明!歴史捜査  #76 幕末の争乱シリーズ 352人斬首!天狗党の乱とは何だったのか? が2月1日に再放送されました。


尊王攘夷を旗印にしながら、朝敵として352人もの斬首者を出した天狗党の話でした。
彼らの道中の行動など詳しく説明がなされていて分かり易かったです。
諸生党との争いの中で藩士の4分の3もの人材を失って、明治新政府に人材を輩出することの出来なかったというのは茨城県にとって黒歴史かと思いました。

352人もの大量処刑の驚いた大久保利通公は,その日記に「このむごい行為は,幕府が近く滅亡することを自ら示したものである」と記したそうです。

歴史秘話ヒストリア 「沖ノ島~日本 はじまりの物語~」

歴史秘話ヒストリア 「沖ノ島~日本 はじまりの物語~」が2月2日に再放映されました。


今年の7月に世界遺産に登録された沖ノ島の話でした。
宿る島として古代祭祀の変遷が手付かずで残っているのは初めてしました。

発掘されたもので邪馬台国のことを示すものが見つかればいいと思いました。

2018年2月1日木曜日

英雄たちの選択・選「関東から天下へ!~上杉謙信の夢と野望~」

英雄たちの選択・選「関東から天下へ!~上杉謙信の夢と野望~」
が2月1日に再放映されました。




上杉謙信の関東進出の詳細を説明する回でした。
謙信公の秩序と権威を重んじる人となりを強く感じました。

永禄4年に関東に遠征し、山之内上杉家の家督の関東管領職を相続しますが、
鶴岡八幡宮で成田長泰が下馬をしなかったので扇を烏帽子を打ち落したとする話には
政治的な人物でもなかったと思いました。

磯田先生の番組の最期で金(権威)と鉄(実力)の例えで謙信公を金に、
信長公を鉄に例えたことに関心しました。