片岡愛之助の解明!歴史捜査 #102 豊臣家崩壊のカウントダウン! 茶々・秀頼・片桐且元 決裂までの13日間の真実を追え! が2月15日に放映されました。
関が原の戦いから大阪の陣で豊臣家が滅ぶまでの15年間豊臣家を
支えた続けた片桐且元の話でした。
徳川家康公より豊臣直轄地を管轄する国奉行とも言える立場にも任じられており、
徳川家と豊臣家のパイプ役として欠かせない人物だったようです。
この人物を豊臣家より離反させるために計略が張り巡らされたようです。
有名な"方広寺鐘銘事件"ですが、駿府の家康公に釈明に赴くが10日間会見を許されずに
止め置かれて、あとから来た大蔵卿がすんなりと面会を許されてしますのです。
この時家康公は機嫌が良かったそうです。
すんなりと面会を許されてた家康公は機嫌が良かったと大蔵卿が報告していたのに対して、且元の持ち帰った徳川側の条件を改めて大阪城に持ち帰ると、その厳しい内容に
内通を疑われてしまいます。城内で暗殺計画も知らされてやむなく大阪城を退去しました。こうして片桐且元という支えを失った豊臣家は大阪の陣に突き進んで行くことになります。
まさに「水を混ぜて魚を摸(と)る」の計略ですが、
改めて徳川家康公の豊臣家を滅亡の意思の堅さを感じました。
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