2021年3月31日水曜日

歴史探偵「参勤交代」

歴史探偵「参勤交代」が3月31日が放映されました。



江戸時代の参勤交代の実態を紹介するエピソードでした。国元で奉公するよりも役得は多かったようですが、送り出す方は大変だったようです。


英雄たちの選択 「山城スペシャル 徹底解析!戦国武将の知恵の結晶」

 英雄たちの選択 「山城スペシャル 徹底解析!戦国武将の知恵の結晶」が3月31日に放映されました。


戦国の知恵を結集した山城が紹介されました。鉄壁の防御を誇った武田流や北条流の築城術には感心しました。

2021年3月30日火曜日

先人たちの底力 知恵泉「板垣退助 時代を動かす発信力を持つには?」

先人たちの底力 知恵泉「板垣退助 時代を動かす発信力を持つには?」が3月30日に再放映されました。


幕末の志士から明治の自由民権運動の旗手としての政治家となり、暗殺者に狙われる波乱の人生のエピソードでした。


2021年3月29日月曜日

にっぽん!歴史鑑定 #265「戦国の世を変えた!秀吉の備中高松城の水攻め」

にっぽん!歴史鑑定 #265「戦国の世を変えた!秀吉の備中高松城の水攻め」が3月29日に放映されました。



高松城水攻めは、鳥取城の飢え殺しと並んで豊臣秀吉の城攻めでは有名です。
地域の農民を法外な報酬で堤防つくり動員して短期間で完成させてしまったのは画期的だったと思います。

2021年3月24日水曜日

英雄たちの選択 「江戸を手に入れろ! 上野戦争 西郷どんの選択」

英雄たちの選択 「江戸を手に入れろ! 上野戦争 西郷どんの選択」が3月24日に再放映されました。


江戸城無血開城のあとに上野に立て籠もった彰義隊を最終的に武力征伐した西郷隆盛の苦悩を説明する内容でした。

2021年3月23日火曜日

先人たちの底力 知恵泉「荻野吟子 “女性医師”の道を切り開け!」

 先人たちの底力 知恵泉「荻野吟子 “女性医師”の道を切り開け!」が3月23日に放映されました。


日本初の国家資格を持った医師となった荻野吟子さんを紹介する内容でした。当時の女性の地位からすると偏見も受けて大変だっということがよく分かりました。

2021年3月22日月曜日

にっぽん!歴史鑑定 #264「平家が滅亡した日~実録"壇ノ浦の戦い"」

 にっぽん!歴史鑑定 #264「平家が滅亡した日~実録"壇ノ浦の戦い"」が3月22日に放映されました。

壇ノ浦の戦いの当日の潮の流れの変化や両軍の動きなどを詳しく解説する内容でした。

2021年3月17日水曜日

歴史秘話ヒストリア 第417回放送「最終回スペシャル」

 歴史秘話ヒストリア 第417回放送「最終回スペシャル」が3月17日に放映されました


12年間の映像を振り返る内容でした。
歴史秘話ヒストリアの中で、最も多く織田信長訳を演じた櫻木 誠(さくらぎ まこと、1975年5月28日 - )さんのインタビューも面白かったです。


英雄たちの選択「鬼か?仏か?その後の新選組・土方歳三 〜宇都宮城攻防戦の真実〜」

英雄たちの選択「鬼か?仏か?その後の新選組・土方歳三 〜宇都宮城攻防戦の真実〜」が3月17日に再放映されました。



近藤勇の死後に、五稜郭まで戦術家としての土方歳三の活躍について解説する内容でした。
宇都宮城を陥落させた戦術的手腕や、二股口の戦いでの寡兵での戦いなどすぐれた戦術家であったことは明らかなので明治の時代にも生き残ってもらいたかったと思いました。

2021年3月16日火曜日

先人たちの底力 知恵泉「国産ワクチンの開発に挑め!小山肆成(しせい)」

 先人たちの底力 知恵泉「国産ワクチンの開発に挑め!小山肆成(しせい)」が3月16日に放映されました。


江戸時代の後期に天然痘のワクチンに国内で初めて実験に成功した小山肆成(しせい)を紹介する内容でした。

2021年3月15日月曜日

にっぽん!歴史鑑定 #13 大岡越前と遠山金四郎

 にっぽん!歴史鑑定 #13 大岡越前と遠山金四郎が3月15日に再放送されました。


名奉行として名高い大岡越前と遠山金四郎の実像に迫る内容でした。

2021年3月10日水曜日

英雄たちの選択 「烈公・徳川斉昭 幕末動乱への導火線」

 英雄たちの選択 「烈公・徳川斉昭 幕末動乱への導火線」が3月10日に放映されました。


幕末に「尊王攘夷」思想を掲げた徳川斉昭の実像を解説する内容でした。



2021年3月9日火曜日

先人たちの底力 知恵泉「江藤新平 次の時代をデザインするには?」

 先人たちの底力 知恵泉「江藤新平 次の時代をデザインするには?」が3月9日に再放映されました。

苦学して明治新政府では司法制度の整備に大きな整備に影響を与えました。明治六年の政変で下野したあとに、佐賀藩の不平士族のなだめるために帰郷した時に指導的立場に推されてしまいました。「佐賀の乱」に敗北し捕縛され、斬首され首を晒される最後を迎えました。幕末から明治までに失われた優秀な人材の一人であったことが解説されました。

2021年3月8日月曜日

【にっぽん!歴史鑑定】小牧・長久手の戦いとは何だったのか?|秀吉VS家康 本当の天下分け目の決戦

にっぽん!歴史鑑定 #263「秀吉VS家康 本当の天下分け目の合戦!小牧・長久手の戦い」が3月8日に放映されました。


「天下分け目の戦い」と聞くと、 多くの人は1600年の関ヶ原の戦いを思い浮かべるでしょう。

しかし歴史研究者の中には、 本当の意味で天下の行方を決めた戦いは 「小牧・長久手の戦い」だったという見方もあります。

なぜならこの戦いは、 豊臣秀吉と徳川家康という戦国時代を代表する二大英雄が、 唯一正面から激突した大規模戦争だったからです。

もし家康が敗れていれば江戸幕府は生まれなかったかもしれません。

もし秀吉が完全勝利していれば、 日本史はまったく違うものになっていたでしょう。

BS-TBS「にっぽん!歴史鑑定 秀吉VS家康 本当の天下分け目の合戦!小牧・長久手の戦い」では、 この決戦の真相と、 なぜ家康が秀吉に唯一対抗できたのかが詳しく解説されていました。

この記事では番組内容をもとに、 小牧・長久手の戦いの経緯、 秀吉と家康の戦略、 勝敗を分けたポイント、 そして日本史への影響をわかりやすく解説します。


この記事はこんな人におすすめ

  • 小牧・長久手の戦いを詳しく知りたい
  • 豊臣秀吉と徳川家康の関係を学びたい
  • 戦国時代の分岐点に興味がある
  • 関ヶ原以前の天下争いを理解したい
  • 歴史鑑定をより深く楽しみたい

3分でわかる小牧・長久手の戦い

  • 1584年に起きた秀吉と家康の全面対決
  • 発端は織田信長死後の後継者争い
  • 家康は織田信雄と同盟して秀吉に対抗した
  • 長久手では家康軍が大勝利を収めた
  • 最終的には講和で終結した
  • 家康が天下人候補として全国へ存在感を示した戦いだった

小牧・長久手の戦いとは何か

小牧・長久手の戦いは1584年、 羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と徳川家康が激突した戦争です。

本能寺の変で織田信長が亡くなった後、 織田家の主導権をめぐる争いが起こりました。

その中で最大勢力となった秀吉に対し、 家康が正面から対抗したのです。

戦いの舞台は現在の愛知県。

小牧山と長久手周辺を中心に激戦が繰り広げられました。


小牧・長久手の戦い 年表

出来事
1582年 本能寺の変発生
1582年 山崎の戦いで秀吉が明智光秀を討つ
1583年 賤ヶ岳の戦いで秀吉が柴田勝家を破る
1584年3月 小牧・長久手の戦い勃発
1584年4月 長久手の戦いで家康軍勝利
1584年11月 講和成立

なぜ秀吉と家康は戦うことになったのか

織田家後継者問題

信長死後、 秀吉は急速に勢力を拡大していました。

しかしすべての織田家臣が秀吉に従ったわけではありません。

織田信雄を支持する勢力も存在していました。

徳川家康は信雄と手を組み、 秀吉に対抗します。

家康も天下を視野に入れていた

家康は単なる織田家支援ではありませんでした。

将来的な天下取りも見据えていたと考えられています。

その意味で小牧・長久手の戦いは、 秀吉と家康による最初の天下争奪戦だったのです。


秀吉軍と家康軍の戦力差

圧倒的に有利だった秀吉

当時の勢力規模で見ると、 秀吉が有利でした。

畿内を中心に広大な領地を持ち、 豊富な兵力を動員できます。

多くの戦国大名も秀吉側についていました。

家康軍は少数精鋭

一方の家康は、 三河・遠江・駿河が主な基盤です。

兵力では劣りますが、 精鋭の三河武士団を抱えていました。

戦場経験の豊富さも大きな強みでした。


小牧山でのにらみ合い

信長ゆかりの小牧山城

家康は小牧山に布陣します。

ここは信長が若き日に築いた城でした。

家康は大規模な防御陣地を築き、 秀吉軍を迎え撃ちます。

秀吉も攻めきれなかった

秀吉は兵力で優勢でした。

しかし正面攻撃では大損害を受ける可能性があります。

そのため両軍は長期間にわたってにらみ合いを続けました。


長久手の戦いで何が起きたのか

秀吉軍の奇襲作戦

戦況を動かすため、 秀吉は徳川本拠地への奇襲を計画します。

池田恒興や森長可ら有力武将を派遣しました。

しかし家康は情報を察知します。

家康の見事な迎撃

家康軍は長久手で奇襲部隊を待ち伏せしました。

結果は家康軍の大勝利。

池田恒興、 森長可ら秀吉軍の主力武将が戦死します。

秀吉は大きな打撃を受けました。


なぜ家康は勝てたのか

情報戦の勝利

家康は敵の動きを正確に把握していました。

戦国時代において情報収集は極めて重要です。

長久手ではその差が勝敗を決定づけました。

三河武士団の強さ

家康軍の結束力は非常に高いものでした。

長年苦楽を共にした家臣団は、 高い戦闘力を発揮します。

これが少数でも戦えた理由でした。


なぜ秀吉は最終的に勝者となったのか

戦術では家康、戦略では秀吉

長久手では家康が勝利しました。

しかし戦争全体で見ると、 秀吉の政治力が勝っていました。

全国の大名を次々と味方に引き入れていったのです。

織田信雄の離脱

最終的に織田信雄が秀吉と講和します。

これによって家康は戦争継続の大義名分を失いました。

ここが秀吉最大の勝因でした。


本当の天下分け目と言われる理由

家康が唯一秀吉を破った戦い

長久手の戦いは、 家康が正面対決で秀吉軍を破った数少ない例です。

全国へ家康の実力を示しました。

後の江戸幕府につながる

秀吉は天下を統一しますが、 家康は生き残りました。

そして秀吉死後、 最終的に天下を手にします。

その意味で小牧・長久手は、 関ヶ原へ続く重要な伏線だったのです。


現代人が学ぶ小牧・長久手の教訓

① 局地戦の勝利だけでは足りない

家康は戦場で勝ちました。

しかし戦略全体では苦戦しました。

目先だけでなく全体を見る重要性がわかります。

② 情報が勝敗を決める

家康は情報戦で優位に立ちました。

現代のビジネスにも通じる考え方です。

③ 最後まで生き残ることが大切

家康はこの戦いで天下を取ったわけではありません。

しかし生き残り、 次の機会を待ちました。

長期戦の重要性を示しています。


もし秀吉が家康を討っていたら?

江戸幕府は誕生しなかったでしょう。

関ヶ原もありません。

260年続く江戸時代も存在しなかった可能性があります。

小牧・長久手の戦いは、 日本史を大きく左右した分岐点だったのです。


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まとめ|小牧・長久手の戦いは「秀吉と家康の天下争奪戦」だった

小牧・長久手の戦いは、 単なる局地戦ではありませんでした。

豊臣秀吉と徳川家康が、 天下の行方をかけて激突した歴史的決戦でした。

戦場では家康。

政治では秀吉。

両者の強みが鮮明に表れた戦いでもあります。

そして最終的に生き残った家康は、 後に江戸幕府を開くことになります。

「にっぽん!歴史鑑定 秀吉VS家康 本当の天下分け目の合戦!小牧・長久手の戦い」は、 関ヶ原以上に重要とも言われる歴史の分岐点を理解するうえで非常に興味深い内容でした。

小牧・長久手の戦いは、 戦国時代最大級の“もしも”が詰まった、 真の天下分け目だったのです。

2021年3月3日水曜日

英雄たちの選択「心の壁を打ち破れ! 上杉鷹山 財政再建への鍵」

英雄たちの選択「心の壁を打ち破れ! 上杉鷹山 財政再建への鍵」が3月3日に放映されました。


ジョン.F.ケネディも尊敬した上杉鷹山の藩再生の取り組みを解説する内容でした。

2021年3月2日火曜日

先人たちの底力 知恵泉「“愛”を止めるな! 井原西鶴〜人生を楽しく生きるために〜」

先人たちの底力 知恵泉「“愛”を止めるな! 井原西鶴〜人生を楽しく生きるために〜」が3月2日に再放映されました。



井原西鶴の革新性を説明する内容の後半でした。

2021年3月1日月曜日

にっぽん!歴史鑑定 #15 越後の龍 上杉謙信

にっぽん!歴史鑑定 #15 越後の龍 が3月1日に再放映されました。


手取川で上杉軍が織田軍を破ったのは事実ですが、織田信長の人物評や上杉謙信の人物評の方が面白かったです。上杉謙信より織田信長の方が強かで勝組になったのは仕方のなかったかなとも思いました。