2022年10月31日月曜日

【にっぽん!歴史鑑定】原敬はなぜ暗殺されたのか?|平民宰相が挑んだ日本初の本格政党政治とその最期

 にっぽん!歴史鑑定「平民宰相・原敬はなぜ暗殺されたのか?」 が10月31日に放映されました。


1921年11月4日。

東京駅で一人の現職首相が暗殺されました。

その人物こそ、 日本初の本格的な「平民宰相」と呼ばれた原敬(はら たかし)です。

岩手県出身の一青年が、 外交官、 新聞記者、 内務官僚、 政党政治家を経て、 ついには内閣総理大臣にまで上り詰めました。

しかし、 なぜ原敬は命を狙われたのでしょうか。

なぜ大衆から人気を集めた政治家が、 東京駅の雑踏で凶刃に倒れなければならなかったのでしょうか。

BS-TBS「にっぽん!歴史鑑定 平民宰相・原敬はなぜ暗殺されたのか?」では、 日本の政党政治の礎を築いた原敬の生涯と暗殺事件の真相に迫っていました。

この記事では、 原敬の人物像、 平民宰相と呼ばれた理由、 原内閣の功績、 東京駅暗殺事件の真相、 そして日本政治に与えた影響を詳しく解説します。


この記事でわかること

  • 原敬とはどんな人物だったのか
  • なぜ「平民宰相」と呼ばれたのか
  • 原内閣の政策と功績
  • 東京駅暗殺事件の経緯
  • 暗殺の背景にあった政治状況
  • 原敬が現代日本に残したもの

3分でわかる原敬

  • 1856年に盛岡藩士の家に生まれた
  • 爵位を持たない初の本格的政党内閣首相だった
  • 立憲政友会の総裁として政党政治を推進した
  • 地方インフラ整備を積極的に進めた
  • 普通選挙には慎重だった
  • 1921年、東京駅で暗殺された

原敬とは何者だったのか

原敬は1856年、 南部藩(現在の岩手県)の藩士の家に生まれました。

幕末から明治維新という激動の時代を経験した世代です。

若い頃には新聞記者として活躍し、 その後は外務省に入省します。

さらに政界へ転身し、 立憲政友会の中心人物として頭角を現しました。

原敬の最大の特徴は、 華族ではなく平民出身だったことです。

当時の首相経験者の多くは華族や藩閥出身でした。

その中で原敬は、 政党と議会を基盤として首相になった画期的な政治家だったのです。


原敬 年表

出来事
1856年 盛岡藩に誕生
1871年 上京し学問を学ぶ
1882年 新聞記者として活動
1884年 外務省入省
1900年 立憲政友会結成に参加
1918年 第19代内閣総理大臣就任
1921年11月4日 東京駅で暗殺

なぜ「平民宰相」と呼ばれたのか

華族ではない首相

明治時代から大正時代初期にかけて、 日本の首相は薩摩・長州の藩閥出身者や華族が中心でした。

しかし原敬は爵位を受けることを拒否します。

そのため、 「平民のまま首相になった人物」として注目されました。

政党政治の象徴

原敬は議会と政党を重視しました。

軍や元老ではなく、 選挙で選ばれた議員による政治を発展させようとしたのです。

そのため原内閣は、 日本初の本格的政党内閣とも評価されています。


原内閣は何を成し遂げたのか

地方インフラの拡充

原敬は地方重視の政治を行いました。

鉄道整備、 道路整備、 港湾整備などを積極的に進めます。

「一県一鉄道主義」と呼ばれる政策は有名です。

これによって地域経済の発展を目指しました。

政党政治の定着

それまで不安定だった政党政治を、 より現実的な統治システムとして確立しようとしました。

日本の議会制民主主義の基礎が形成された時代でもあります。


なぜ原敬は批判されたのか

利益誘導政治への批判

地方開発を進める一方で、 支持基盤への利益誘導だという批判も受けました。

現在でいう「バラマキ政治」と評価されることもありました。

普通選挙への慎重姿勢

当時、 選挙権は限られた高額納税者だけに与えられていました。

普通選挙を求める声は高まっていましたが、 原敬は急進的な改革には慎重でした。

この姿勢は知識人や学生層から反発を受けます。


東京駅暗殺事件とは何だったのか

1921年11月4日

原敬は京都へ向かうため東京駅を訪れていました。

その時、 青年・中岡艮一に短刀で刺されます。

原敬は重傷を負い、 間もなく死亡しました。

日本史上初めて、 現職首相が暗殺された事件でした。

犯人の目的

中岡艮一は特定の政治団体に属していたわけではありませんでした。

しかし原内閣への不満や政治への失望を抱いていたとされています。

そのため、 単純な個人犯罪ではなく、 当時の社会不安を象徴する事件と見られています。


なぜ原敬は暗殺されたのか

政治不信の高まり

第一次世界大戦後、 日本社会は大きく変化していました。

米騒動、 経済格差、 労働争議の増加。

国民の不満は高まり続けていました。

原内閣はその矢面に立たされたのです。

政党政治への反発

政党政治が成熟する前の時代、 政党そのものに不信感を抱く人も少なくありませんでした。

原敬は政党政治の象徴であるがゆえに、 攻撃対象にもなったのです。


原敬の死が日本に与えた影響

政党政治の弱体化

原敬の死後も政党政治は続きました。

しかし強力な指導力を持つ政治家を失った影響は大きく、 政治は徐々に不安定化していきます。

軍部台頭への遠因

その後、 昭和に入ると軍部の影響力が増していきます。

もし原敬が生き続けていたら、 日本の政治史は違う形になったかもしれません。


原敬が残した3つの知恵

① 理念より現実を重視する

原敬は理想論だけを語りませんでした。

現実的な政治運営を重視した人物でした。

② 地方を大切にする

国家の発展は地方の発展から始まる。

その考え方は現在にも通じます。

③ 対話によって政治を動かす

軍事力や権威ではなく、 議会と政党を通じて問題解決を目指しました。

民主主義の基本を体現した政治家だったと言えるでしょう。


もし原敬が暗殺されなかったら?

普通選挙の実現時期は変わっていたかもしれません。

政党政治はさらに定着していた可能性があります。

そして昭和初期の政治不安も違った形になっていたかもしれません。

それほど原敬の存在は大きかったのです。


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まとめ|原敬は日本の民主政治の礎を築いた「平民宰相」だった

原敬は、 日本で初めて本格的な政党政治を実現しようとした首相でした。

平民出身でありながら首相となり、 地方振興と議会政治の発展に尽力します。

しかしその道半ばで、 東京駅において凶刃に倒れました。

BS-TBS「にっぽん!歴史鑑定 平民宰相・原敬はなぜ暗殺されたのか?」は、 一人の政治家の人生を通じて、 民主主義の難しさと可能性を考えさせる内容でした。

原敬の挑戦は途中で断たれました。

それでも彼が築いた政党政治の土台は、 現在の日本政治へと確かに受け継がれているのです。