11代将軍の徳川家斉は、50年間の在位期間に40人の側室を持ち、産ませた子供は53人。オットセイ将軍の異名を持ちますが評価は低いです。
その徳川家斉が子供を日本中の大名に跡継ぎや正妻としてファミリー化したことを解説する内容でした。
もし徳川幕府が近代国家への改革に成功していたら、 日本の歴史はどう変わっていたでしょうか。
明治政府による近代化ではなく、 徳川政権主導の近代国家が誕生していたかもしれません。
そんな未来を本気で目指した幕臣がいました。
その人物こそ、 小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)です。
勝海舟や坂本龍馬ほど有名ではありません。
しかし近年、 日本近代化の先駆者として再評価が進んでいます。
彼はなぜ幕末という混乱の時代に、 近代国家建設を構想したのでしょうか。
そしてなぜ、 その夢は実現しなかったのでしょうか。
NHK「英雄たちの選択 めざせ!徳川近代国家 小栗上野介の夢と挫折」では、 幕府の未来を託された改革官僚・小栗上野介の実像に迫っていました。
この記事では、 小栗上野介の生涯、 遣米使節団で見たアメリカ、 横須賀製鉄所建設、 そして徳川近代国家構想の真実を詳しく解説します。
小栗上野介忠順は1827年、 江戸の旗本の家に生まれました。
若い頃から優れた実務能力を発揮し、 幕府中枢で活躍します。
特に財政、 外交、 軍事改革に才能を発揮し、 幕末日本屈指の政策立案者として頭角を現しました。
当時の幕府は、 欧米列強の圧力によって大きく揺れていました。
小栗はその危機を誰よりも強く理解していた人物だったのです。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1827年 | 江戸で誕生 |
| 1858年 | 日米修好通商条約締結 |
| 1860年 | 遣米使節団として渡米 |
| 1862年 | 勘定奉行就任 |
| 1865年 | 横須賀製鉄所建設開始 |
| 1868年 | 新政府軍に捕らえられる |
| 1868年 | 処刑される |
1860年、 小栗は日米修好通商条約批准のため、 遣米使節団の一員としてアメリカへ向かいます。
当時の日本人にとって海外渡航は極めて珍しい経験でした。
小栗は約2か月にわたり、 アメリカ社会を観察します。
鉄道。
工場。
銀行制度。
近代的な軍隊。
小栗は圧倒的な技術力と国力を目の当たりにしました。
そして日本も近代化しなければ生き残れないと確信したのです。
小栗は倒幕派ではありませんでした。
徳川幕府を存続させながら、 近代国家へ変革すべきだと考えていました。
つまり彼の目標は、 幕府の延命ではなく近代化だったのです。
欧米列強の脅威が迫る中、 国家の独立を守るためには産業育成と軍備近代化が必要でした。
小栗はその実現に全力を注ぎます。
小栗最大の功績として挙げられるのが、 横須賀製鉄所建設です。
フランス人技師ヴェルニーの協力を得て、 本格的な近代工業施設を建設しました。
ここでは軍艦修理だけでなく、 技術者育成も行われました。
興味深いことに、 明治政府は小栗の残した横須賀製鉄所をそのまま活用します。
つまり小栗の構想は、 徳川政権では実現しなかったものの、 後の日本近代化の土台になったのです。
大規模改革には反発がつきものです。
小栗は強引なまでの推進力を持っていました。
そのため多くの反対派を生みました。
能力は認められながらも、 敵も多かったと言われています。
佐幕派。
倒幕派。
公武合体派。
幕末政治は極めて複雑でした。
小栗はその渦中で孤立していきます。
幕末最大の論争の一つが、 勝海舟と小栗上野介の考え方の違いでした。
勝海舟は江戸無血開城を選びます。
一方の小栗は、 徹底抗戦によって徳川政権を守るべきだと考えていました。
結果的に勝海舟の路線が採用されます。
しかし近年では、 小栗の構想にも一定の合理性があったと再評価されています。
それだけ幕末は難しい選択の連続だったのです。
1868年、 新政府軍が関東へ進攻すると、 小栗は群馬県権田村へ退きます。
しかし間もなく捕らえられました。
正式な裁判も十分に行われないまま、 小栗は処刑されます。
享年42歳でした。
近代国家構想を抱いた改革者の人生は、 あまりにも早く終わったのです。
徳川幕府が立憲君主制国家へ移行していた可能性があります。
国内戦争を減らせたかもしれません。
あるいは日本の近代化の形そのものが違っていた可能性もあります。
もちろん歴史に答えはありません。
しかし小栗が日本史の重要な分岐点に立っていたことは間違いないでしょう。
番組が注目したのは、 敗者としての小栗ではありませんでした。
未来を構想した改革者としての小栗です。
歴史は勝者によって語られることが多くあります。
しかし敗れた側にもまた、 未来を変える可能性は存在していました。
小栗上野介はその象徴的存在だったのです。
アメリカ視察の経験が小栗の発想を変えました。
広い視野は改革の出発点になります。
横須賀製鉄所は短期的利益ではなく、 未来のための投資でした。
改革には反対がつきものです。
小栗は批判を恐れず前へ進みました。
小栗上野介は、 単なる幕臣ではありませんでした。
日本が近代国家として生き残るために何が必要か、 誰よりも早く理解していた改革者でした。
アメリカで見た近代社会。
横須賀製鉄所建設。
徳川近代国家構想。
その多くは時代を先取りしたものでした。
しかし彼は時代の流れに敗れ、 その夢を見ることなく人生を終えます。
NHK「英雄たちの選択 めざせ!徳川近代国家 小栗上野介の夢と挫折」は、 明治維新を勝者だけでなく敗者の視点から見直す貴重な内容でした。
もし小栗上野介の構想が実現していたら。
私たちが知る日本は、 今とは違う姿になっていたかもしれません。
小栗上野介とは、 “もう一つの近代日本”を夢見た国家デザイナーだったのです。