ジョン万次郎(中濱 萬次郎)が嘉永4年(1851年)に牢屋で出会うというエピソード
でした。藩主の斉彬公には自ら万次郎に海外の情勢や文化等について質問した。
斉彬の命により、藩士や船大工らに洋式の造船術や航海術について教示、
その後、薩摩藩はその情報を元に和洋折衷船の越通船を建造した。
斉彬公は万次郎の英語・造船知識に注目し、後に薩摩藩の洋学校(開成所)の英語講師として招いたそうですが、隆盛公と出会っていたのかは分かりません。
隆盛公が牢屋で出会ったジョン万次郎を斉彬公に引き合わせた功で、大久保利通公と父親を免じる願いをしていました。
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