2018年1月31日水曜日

尾上松也の謎解き歴史ミステリー 第26回 もうひとつの関ヶ原~西軍敗北の謎

尾上松也の謎解き歴史ミステリー 第26回 もうひとつの関ヶ原~西軍敗北の謎
が1月31日の再放映されました。


「宰相殿の空弁当」などで関が原の合戦の本戦での毛利の不可解な行動は、
徳川と毛利との間に事前に密約があったという話でした。

毛利がその時に狙っていたのは、四国伊予の加藤嘉明領であったということが説明されました。

ブラタモリ #93 彦根

ブラタモリ #93 彦根 が1月31日に再放送されました。


タモリさんが彦根城の堅固さと知る回でした。
彦根は北国街道と中山道の通る交通の要衝であり信長・秀吉・家康も信頼できる武将を
配置していたようです。


2018年1月30日火曜日

先人たちの底力 知恵泉 「幕末 孤高の挑戦者 佐久間象山 空気を読むな!」

1月30日に、「幕末 孤高の挑戦者 佐久間象山 空気を読むな!」が再放映されました。
幕末の兵学者、佐久間象山の話です。


昨年の真田丸で大泉洋さん演じる真田信之を紹介する時に、
父:昌幸、弟:信繁(幸村)と「犬伏の別れ」で徳川側につき、幕末に佐久間象山を輩出した松代藩の初代藩主となりましたと紹介されるほどの人物です。

エジソンのように失敗を恐れずに何にも取り組んだ人物であったようです。
信念の強い人だったと思います。

番組を見るまでは、吉田松陰の黒船密航をそそのかして、9年間の蟄居を命じられたのは知らなかったです。

9年間の蟄居のあとに、攘夷派の志士が跋扈する京都で西洋趣味の姿の馬を乗り回していたそうで、その京都で暗殺されます。

番組でもありましたが、そこのところは空気を読まななさすぎのような気がします。


2018年1月29日月曜日

にっぽん!歴史鑑定 #145「清少納言と紫式部 ベストセラー誕生の秘密」

にっぽん!歴史鑑定 #145「清少納言と紫式部 ベストセラー誕生の秘密」
が1月29日に放映されました。


日本最古の随筆作品である「枕草子」と世界最古の長編小説といわれる「源氏物語」
の作者の清少納言と紫式部の関係を検証する内容でした。

清少納言と紫式部は、ともに同じ一条天皇の妃でした。
清少納言が仕えた主は、中宮・定子、紫式部が仕えた主は、中宮・彰子です。
そして、定子の父・藤原道隆と彰子の父・藤原道長は実の兄弟です。
道隆と道長は、自らの娘を天皇と結婚させ、その子供を天皇として即位させることで 自身は保護者・後見者として摂関政治を行おうと考えていたのです。
清少納言と紫式部はライバル関係であったと言われていますが、
正確には二人が仕えた妃やその親こそが政治的ライバル関係でした。

二人が仕えていた妃は、同じく一条天皇の妃でしたが、実は、仕えていた時期にラップした期間はありませんでした。定子は24歳の時、三人目の子供を出産した直後に、亡くなってしまいます。1000年のことです。
紫式部が、宮仕えを始めたのは1005年もしくは1006年のことだと言われており、
二人は直接会ったような面識はないはずとされています。


2018年1月28日日曜日

大河ドラマ 西郷どん 第4回「新しき藩主」

大河ドラマ 西郷どん 第4回「新しき藩主」が1月28日に放映されました。




嘉永3年(1850年)、高崎崩れ(お由羅騒動)で沢村一樹さんが演じる赤山靭負(ゆきえ)
が切腹し、父の吉兵衛が介錯を務めた。又、大久保正助の父は島流しになって正助は城勤め
の任を解かれ大久保家は困窮することになりました。
これ以後、世子・島津斉彬の襲封を熱望するようになっていました。
老中阿部正弘の調停により、斉興は隠居し、斉彬が家督を継ぐ事となりました。
創作だと思いますが、斉興と斉彬がロシアンルーレットをするシーンは迫力がありました。

風林火山 第43回 信玄誕生

風林火山 第43回 信玄誕生 が1月28日に放映されました。


弘治3年(1557年)には将軍足利義輝による甲越和睦の御内書が下されたところから
始まり、晴信は受託の条件に信濃守護職を要求し信濃守護に補任されました。
これに対応して長尾景虎は上杉憲政の関東管領を継いでいくことになります。

永禄2年(1559年)2月に晴信は長禅寺住職の岐秀元伯を導師に出家し、「徳栄軒信玄」と号したそうです。原虎胤、真田幸隆、山本勘助もこれに従い出家しました。

第3次の川中島の合戦では、決戦を避けた形になりましたが、
第4次の川中島の合戦に進んで行くことになります。

2018年1月25日木曜日

片岡愛之助の解明!歴史捜査  #100 真田家のすべてを見届けた男!最後のキーマン・昌幸の弟、真田信尹を追跡せよ

片岡愛之助の解明!歴史捜査  #100 真田家のすべてを見届けた男!最後のキーマン・昌幸の弟、真田信尹を追跡せよ が1月25日に放映されました。


真田氏のことを知らない歴史ファンはいないと思いますが、
昨年の大河ドラマの真田丸で栗原英雄さんが好演するまで、
その存在を知らなかった人も多いと思います。
昌幸公の影として仕えたことを伝える話でした。

武田信玄公の命のより名門・加津野氏(和野、鹿角)の名跡を継いでいましたが、
武田氏滅亡後に真田性に復姓して信尹と改名したようです。

北条氏、徳川氏、蒲生氏から再び徳川氏と主を変えて行きましたが、
甲斐に4000石を与えられて、その後5200石まで加増されて子孫は旗本として徳川氏に
仕えて子孫が4系統に分かれてその内2系統が明治維新まで存続しました。

大阪夏の陣の時に「日本一の兵」と評された真田信繁(幸村)を徳川家康公の命により
「信濃国10万石を知行する」と誘ったが一蹴された。
また信繁(幸村)の首実検を行ったなどの逸話が残されています。

それにしても番組中の真田昌幸公のイラストが草刈正雄さんであったり、
真田丸で演じていた栗原英雄さんを特派員に起用したりNHKに乗っかり過ぎだと
思いました。

英雄たちの選択 秀吉VS山城SP 第2夜「天下統一最後の戦い“奥州再仕置”」

英雄たちの選択 秀吉VS山城SP 第2夜「天下統一最後の戦い“奥州再仕置”」
が放映されました。


豊臣秀吉の天下統一最後の戦い 奥州・九戸政実(くのへ まさざね)の乱の話でした。
九戸政実は肖像画も残っていないようで、知名度が低い武将ではないかと思います。
九戸氏は、南部氏始祖の南部光行の6男が九戸氏を称したことから始まりました。
乱の背景には南部氏宗家の家督争いがあり、九戸政実と対立していた南部信直が南部宗家を継いで小田原参陣し奥州仕置きにも従軍して秀吉から所領安堵を得ていました。
その南部信直に対する九戸政実の軍事行動が豊臣政権への反乱と見なされて奥州再仕置と
なっていきます。

九戸政実の籠城した九戸城(くのへじょう)は三方を川に囲まれた要害で、城郭考古学者の千田嘉博先生も驚愕していました。

乱は1591年9月2日に城を包囲されて9月4日に降伏して終了していますが、
開城すれば助命するとの和睦を反故にして城内に居たものは女子供も全て撫で斬りにされて、九戸政実以下の首謀者も処刑されたようです。

番組の中ではこの苛烈な仕置きは、豊臣政権に反抗すればどうなるかを天下に知らしめる効果を狙ったものであると意見されていました。

武田信玄公の「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」の言葉に尽きるというのが番組を見た感想でした。


2018年1月24日水曜日

尾上松也の謎解き歴史ミステリー 第21回 空海はなぜ高野山を選んだのか

尾上松也の謎解き歴史ミステリー 第21回 空海はなぜ高野山を選んだのか 
が1月24日に再放映されました。

弘法大師・空海は高野山を選んだ理由を検証する内容です。



空海が7年間ほどの空白の期間があるのを知りませんでした。
荒行に明け暮れていたのではと想像します。

いずれにしても安倍清明のように抜きんでた個性は神格化されるようです。

2018年1月23日火曜日

先人たちの底力 知恵泉 「歴史は勝者によってつくられる 明治維新の不都合な真実」

先人たちの底力 知恵泉 「歴史は勝者によってつくられる 明治維新の不都合な真実」
が1月23日放映されました。


歴史は勝者によってつくられるの2回目ですが、薩長新政府から逆賊とされた人物の名誉回復までに如何に時間が必要であったかという話でした。

勝海舟は幕臣から新政府で要職を歴任し旧家臣から変心を非難されながら主君であった徳川慶喜公の回復に尽力しました。徳川慶喜公が明治天皇に拝謁し名誉を回復したのは明治30年(1897年)のことでした。勝海舟の日記には「我が苦心三十年、少しく貫く処あるかの一行があるそうです。

幕末に京都守護職として薩長の志士たちを取り締まる立場で、戊辰戦争で最後まで新政府軍に抵抗した松平容保公と会津藩でしたが、その正義を世に訴える為に山川浩が著して弟の健次郎が引き継いで完成した「京都守護職始末」が発行されたのは明治44年(1911年)のことでした。

小栗上野介は、薩長への恭順に反対し主戦論を唱えたが罷免されたのちに、隠遁先で逮捕され斬首されました。洋式軍隊の整備、横須賀製鉄所の建設などを行いました。
大隈重信は小栗について「明治政府の近代化政策は、小栗忠順の模倣にすぎない」と語り、司馬遼太郎は小栗を「明治の父」と記した程の人物でした。
1904年の日露戦争後に日本海海戦の英雄「東郷平八郎」元帥は自宅に小栗上野介の遺族を招き、「このたびの海戦において、勝利を収められたのはあなた方の父上が横須賀造船所を日本のために建設しておいてくれたおかげです。造船所で造られた船で我々は敵を壊滅させることができました。」と感謝を述べてようやく名誉回復が始まりました。

勝者によって失われた敗者の名誉を回復することは大変なことだと思いました。


2018年1月22日月曜日

にっぽん!歴史鑑定 #144「徳川家光と弟・保科正之の絆」

にっぽん!歴史鑑定 #144「徳川家光と弟・保科正之の絆」が1月22日に放映されました。


徳川秀忠公死後に、徳川家光公に重用された保科正之公の人格面も含めた素晴らしさを
説明する話でした。

将軍の子でありながら出自を隠され育ち兄である将軍とその跡継ぎにまで
忠義を尽くしたということで日本屈指の名君との評価が高い人物です。
養父の保科正光に恩義のために生涯松平性を名乗らず保科性を貫いたことなど
日本人の好む謙虚さを持った人物かと思います。

晩年に定めた『会津家訓十五箇条』には第一条に「会津藩たるは将軍家を守護すべき存在であり、藩主が裏切るようなことがあれば家臣は従ってはならない」と記されちます、
幕末の松平容保公が最後までこの遺訓を守り最後まで薩長を戦ったのは有名な話です。

保科正之公がいなければ徳川260年の治世はもっと早く終わっていたというのも
正しいと思います。

2018年1月21日日曜日

大河ドラマ 西郷どん 第3回「子供は国の宝」

大河ドラマ 第3回「子供は国の宝」が1月21日に放映されました。





西郷家の家計は火の車で祖父と弟の治療代を出す為に、
父の吉兵衛と一緒に借金に奔走する姿は面白かったです。

俗にいう「お由羅騒動」で調所 広郷(ずしょ ひろさと)が服毒自殺をするシーンなど
りました。調所 広郷は500万両あったとされる薩摩藩の借金を無利子で250年の分割払いにして事実上の踏み倒しをし、行政改革、農政改革、財政改革を行って藩の財政を立て直しました。この蓄えが後の討幕の資金になったことを考えるともっと注目を浴びてもいいかと思います。

赤山靭負(ゆきえ)に切腹の沙汰が出たとこで終了しましたが、
次回は西郷隆盛公にとって生涯忘れ得ないシーンが展開されそうです。



風林火山 第42回 軍師と軍神

風林火山 第42回 軍師と軍神 が1月21日に放映されました。




諏訪御寮人の死を悼む山本勘助と、領国内の諍いに嫌気をさした長尾景虎が
高野山で合間見えるという話でした。

長尾景虎が27歳の時に出奔したのは事実のようですが創作かと思います。
少しずつ第4次の川中島の合戦に近づいて行きます。

2018年1月19日金曜日

歴史秘話ヒストリア 百万石サバイバル! ~加賀前田家・3人の英雄たち~

歴史秘話ヒストリア 百万石サバイバル!  ~加賀前田家・3人の英雄たち~
が1月19日に放映されました。


加賀前田家と徳川家との関わり合いについてを主題においた話でした。
初代の利家の出世の秘密は「そろばん」の特技でした。
2代目の利長には「釣り合い外交」のバランス感覚があり、
3代目の利常には、大胆不敵なアイデアマンという三人三様に長所がありました。
言うなれば天下のナンバー2になっていく様を説明されていました。
加賀前田家が徳川家に逆らわなかったことが徳川の天下泰平の世を長く続かせたのだと思います。


2018年1月18日木曜日

片岡愛之助の解明!歴史捜査  #96 新事実発掘!真田家と忍者のつながりを捜査せよ!

片岡愛之助の解明!歴史捜査  #96 新事実発掘!真田家と忍者のつながりを捜査せよ!
が1月18日に再放映されました。


真田氏の祖は、滋野一族ということで、滋野から分かれた海野・望月・根津の三家の内に甲賀に移り住んだ望月との関係については興味深かったです。

英雄たちの選択 秀吉VS“山城”スペシャル 第1夜「激突!小田原の陣」

英雄たちの選択 秀吉VS“山城”スペシャル 第1夜「激突!小田原の陣」
が1月18日に放映されました。


小田原城の西の防衛を担う最重要拠点である山中城の検証がなされました。
城は東海道を取り込む形で造られていましたが、石垣は一切使っていなくて、土塁・空堀中心の城なのですが、とくにその堀は障子堀・畝堀などの技巧が堅固であると、城郭考古学者の千田嘉博先生も舌を巻いてました。
北条氏の城作りに対するコンセプトや土木技術が十分に堪能できます。
「典型的中世山城」とか言われますが、そんなスケールではないようです。
この城に7万人で力攻めを敢行して半日で落としたようですが、豊臣方も多くの戦死者を出したようです。


2018年1月17日水曜日

尾上松也の謎解き歴史ミステリー 桃太郎伝説 おとぎ話に秘められた謎 

尾上松也の謎解き歴史ミステリー 桃太郎伝説 おとぎ話に秘められた謎
が1月17日に放映されました。


桃太郎伝説の吉備津彦命(きびつひこのみこと)がモデルであるという伝承に基いて、
桃太郎伝説を検証する内容でした。

大和朝廷が、吉備の国の一体を支配していた渡来人の海賊を征服したのが
真相のようです。

2018年1月16日火曜日

先人たちの底力 知恵泉 「歴史は勝者によってつくられる 正史の“裏”を読む」

先人たちの底力 知恵泉 「歴史は勝者によってつくられる 正史の“裏”を読む」
が1月16日に放映されました。


歴史というのものは勝者がつくって、敗者は常に正しい評価を受けられないという
話でした。

『日本書紀』と『徳川実紀』を検証されていましたが、日本書記については残念なことばかりです。主犯は藤原不比等になるのでしょうが、元になる書物が存在していれば
邪馬台国の場所も特定できて日本有数の観光スポットになっているに違いないと思っています。

2018年1月15日月曜日

にっぽん!歴史鑑定 #143「華族の令嬢 栄光と没落」

にっぽん!歴史鑑定 #143「華族の令嬢 栄光と没落」が1月15日に放映されました。


吉井徳子の不良華族事件(ふりょうかぞくじけん)など3つのエピソードで
明治維新から日本国憲法制定(1948年)までの華族についての話でした。

旧華族は80年間日本の上流階級を形成していました。
旧華族を実際没落させたのは1947年の財産税です。

財産税は、10万円以上(今の価値に直すと約5000万円以上)の財産を保有する個人に課せられ、税率は次のとおりで驚きの内容です。
財産税の税率
財産額 税率
10万円を超える金額 5%
11万円を超える金額 30%
12万円を超える金額 35%
13万円を超える金額 40%
15万円を超える金額 45%
17万円を超える金額 50%
20万円を超える金額 55%
30万円を超える金額 60%
50万円を超える金額 65%
100万円を超える金額 70%
150万円を超える金額 75%
300万円を超える金額 80%
500万円を超える金額 85%
1500万円を超える金額 90%
戦後の混乱期とはいえ、個人財産の約9割を取上げる累進課税は、
過酷で現在であれば絶対に無理な政策ですがGHQの強引な政策で断行されたようです。

ちなみに延納を選び土地を温存し、ドッジデフレ時代の資金繰りを凌いだ華族は、
土地価格の高騰で大金持ちとして、生き残れたそうです。



2018年1月14日日曜日

大河ドラマ 西郷どん 第2回「立派なお侍」

大河ドラマ 西郷どん 第2回「立派なお侍」が1月14日に放映されました。





西郷隆盛公の郡方書役助時代のエピソードでした。
借金のかたに娘を売り飛ばすと時に、みかねて借金取りにお金を渡したりもします。
藩の財政を握っていた調所広郷(ずしょ ひろさと)に農民に対する年貢の取立て方法
を直談判するなど後の敬天愛人の言葉にしめされる通り農民のために奮闘する姿が描かれていました。


風林火山 第41回 姫の死

風林火山 第41回 姫の死 が1月14日に放映されました。




第2回の川中島合戦と諏訪御寮人の死のエピソードでした。
この作品のテーマの一つである山本勘助の諏訪御寮人への思いが、
姫の死で一区切りついて、ここからは第4回川中島合戦に向かって行きます。

大原雪齋も第2回の川中島合戦の調停のあとに死んでいくシーンで、
後の徳川家康に自分の後継者のように考えているというのは印象的でした。

2018年1月12日金曜日

歴史秘話ヒストリア イタズラ小僧の華麗なる改革 「西郷どん」の相棒・大久保利通

歴史秘話ヒストリア イタズラ小僧の華麗なる改革 「西郷どん」の相棒・大久保利通
が1月12日に放映されました。


維新の三偉人のひとりである大久保利通公の話で、若き日の大久保利通公がアイデアマンであったことが描かれていました。
維新の三偉人で最も日本人に人気のある西郷隆盛公と最期敵対関係になることから
冷たい人物で描かれることもありますが今年の大河ドラマ「西郷どん」では
優しい人物として描かれそうです。

2018年1月11日木曜日

片岡愛之助の解明!歴史捜査 明治維新150年! 西郷隆盛とは何者だったのか? 西郷をつくり上げた前半生の謎を追え!

片岡愛之助の解明!歴史捜査 明治維新150年!  西郷隆盛とは何者だったのか?  西郷をつくり上げた前半生の謎を追え! が1月11日に放映されました。


大河ドラマ「西郷どん」のスタートに合わせて、西郷隆盛公の若き日の話でした。

英雄たちの選択 選「女たちの江戸城無血開城 和宮と篤姫 大奥の闘い」

英雄たちの選択 選「女たちの江戸城無血開城 和宮と篤姫 大奥の闘い」が
1月11日に放映されました。


今年の大河ドラマでの見どころのシーンになるはずの江戸城無血開場についての話でした。篤姫の輿入れの時に働いた西郷隆盛公に天障院篤姫が書状を書くシーンがどのようになるか今から楽しみです。

2018年1月10日水曜日

尾上松也の謎解き歴史ミステリー 西郷隆盛 謎の素顔~何を信じ戦ったのか~

尾上松也の謎解き歴史ミステリー 西郷隆盛 謎の素顔~何を信じ戦ったのか~
が1月10日に放映されました。


大河ドラマ「西郷どん」のスタートに合わせて、諸説ある西郷隆盛公の肖像についての
話でした。

ブラタモリ #92 岐阜

ブラタモリ #92 岐阜 が1月10日に放映されました。


冒頭は、長良川の鵜飼いから始まりましたが寒そうでした。
次に金華山の岐阜城に移動しました。
日本唯一のリス園は可愛かったですが、岐阜城に関する地形の話では
織田信長も地形マニアという部分が面白かったです。

2018年1月9日火曜日

先人たちの底力 知恵泉 選「伊達政宗 超一流の謝罪術とは?」

先人たちの底力 知恵泉「伊達政宗 超一流の謝罪術とは?」が1月9日に放映されました。
2017年9月12日に放映の再放送です。
戦国武将・伊達政宗は謝罪名人だった!という内容です。



伊達政宗の謝罪と言えば、小田原攻めに遅参して白装束で秀吉の前に現れるのが有名ですが昨年の真田丸でもありましたが、渡辺謙さん主演の伊達政宗が、勝新太郎さん演じる豊臣秀吉の前に白装束で現れるシーンが思い出されます。


小田原攻めに遅参して白装束で秀吉の前に現れる伊達政宗のGIF動画 





2018年1月8日月曜日

にっぽん!歴史鑑定 #142「西郷どんの真実~若き日の隆盛」

にっぽん!歴史鑑定 #142「西郷どんの真実~若き日の隆盛」
が1月8日に放映されました。


大河ドラマの「西郷どん」の開始に合わせて西郷隆盛公の若き日の話でした。

2018年1月7日日曜日

大河ドラマ 西郷どん 第1回「薩摩のやっせんぼ」

大河ドラマ 西郷どん 第1回「薩摩のやっせんぼ」が1月7日に放映されました。





第1回ということで薩摩の「郷中教育」の模様が描かれていました。
西郷隆盛公が生涯忠誠を誓っていた。
島津斉彬公との出会いのシーンや右腕の負傷のシーンなど盛り沢山でした。

風林火山 第40回 三国同盟

風林火山 第40回 三国同盟 が1月7日に放映されました。


甲相駿の三国同盟のエピソードでした。
今川家の大原雪斎の働きかけたと言われるこの盟約ですが、武田氏・北条氏・今川氏の全てに意味があり三大名が大大名として発展したと思われます。

武田晴信・北条氏康・今川義元の3名が一同に会したところが描かれる善得寺の会盟のシーンですが創作であるという見方が多いようです。

内野聖陽さん・松井誠さん・谷原章介さんの善得寺の会盟のシーンより大河ドラマ「武田信玄」の時の中井貴一さん・杉良太郎・中村勘九郎(当時)のシーンの方が良かったです。

2018年1月5日金曜日

歴史秘話ヒストリア 西郷どんのイロハ 維新の英雄・3つの愛

歴史秘話ヒストリア  西郷どんのイロハ 維新の英雄・3つの愛 
が1月5日に放映されました。


エピソードを3つ分けて西郷隆盛公の3つの愛を説明していました。
感じたのは若き日の西郷隆盛公は悩み多き日を過ごしたということです。

そういう部分が維新の三偉人の中でも圧倒的に人気を誇る理由かと思います。
一言でいうと大河ドラマ「西郷どん」の番宣です。



2018年1月4日木曜日

片岡愛之助の解明!歴史捜査 なぜ日本人は富士山が好きなのか?富士山と日本人のつながりを追え!

片岡愛之助の解明!歴史捜査 なぜ日本人は富士山が好きなのか?富士山と日本人のつながりを追え! が1月4日に放映されました。






富士山と日本人との関わりについての話でした。
江戸時代は修験道でしか登山されなかったそうですが、
世界遺産に登録されて現在とは全く違います。

「信仰の対象と芸術の源泉」として世界遺産に登録されましたが、
葛飾北斎を言うに及ばすこれからも新しい芸術が生み出されて行くと思います。

戦国の三英傑も富士山に思いをはせたようですが、
徳川家康の隠居の地に富士の麓を選んだ気持ちも分かるような気がします。

英雄たちの選択 選「幕末 ここに始まる~島津久光・率兵上京の決断~」

英雄たちの選択 選「幕末 ここに始まる~島津久光・率兵上京の決断~」が1月4日に放映されました。


幕末の四賢侯の一人にして、維新の三傑の西郷隆盛が終生忠誠心を持ち続けたことで神格化されている兄の島津斉彬に比べてあまり印象よく描かれません。やはり西郷隆盛と終生そりが合わなかったことが行けなかったようです。大久保利通を重用したことは後の歴史にも大きな影響を与えたと思います。

しかし徳川幕府の全盛期であれば絶対にありえなかった「卒兵上京」を敢然と実行としたことは歴史に大きな足跡を残したと思います。今上天皇の高祖父の父すなわち5代目前の先祖にもあたります。

2018年1月3日水曜日

英雄たちの選択 新春スペシャル「幕末ヒーロー列伝 これが薩摩藩の底力だ!」

英雄たちの選択 新春スペシャル「幕末ヒーロー列伝 これが薩摩藩の底力だ!」が
1月3日に放映されました。


幕末から明治の世まで人材を多く輩出した薩摩藩についての話でした。
薩摩藩の郷中教育(ごじゅうきょういく)についての解説は分かり易かったです。

定められた区画に住む子供たちを年齢別にグループに分け、それぞれのグループからリーダーを選出。リーダーが生活の一切を監督し、責任を負う形をとったものです。先輩が後輩を指導しながら学問や武術を学んでいたようです。
年齢の違う子供同士が教え合い学び合う為には、相手への思いやりがまず必要ですし、相手の能力を把握しそれに適した伝え方を工夫することも必要です。自発性、協調性、考える力などが身に付いたようです。
特に加治屋町は、西郷隆盛を筆頭に数の多くの人物を狭い地域から輩出したことは驚異的です。