が1月29日に放映されました。
日本最古の随筆作品である「枕草子」と世界最古の長編小説といわれる「源氏物語」
の作者の清少納言と紫式部の関係を検証する内容でした。
清少納言と紫式部は、ともに同じ一条天皇の妃でした。
清少納言が仕えた主は、中宮・定子、紫式部が仕えた主は、中宮・彰子です。
そして、定子の父・藤原道隆と彰子の父・藤原道長は実の兄弟です。
道隆と道長は、自らの娘を天皇と結婚させ、その子供を天皇として即位させることで 自身は保護者・後見者として摂関政治を行おうと考えていたのです。
清少納言と紫式部はライバル関係であったと言われていますが、
正確には二人が仕えた妃やその親こそが政治的ライバル関係でした。
二人が仕えていた妃は、同じく一条天皇の妃でしたが、実は、仕えていた時期にラップした期間はありませんでした。定子は24歳の時、三人目の子供を出産した直後に、亡くなってしまいます。1000年のことです。
紫式部が、宮仕えを始めたのは1005年もしくは1006年のことだと言われており、
二人は直接会ったような面識はないはずとされています。
紫式部が、宮仕えを始めたのは1005年もしくは1006年のことだと言われており、
二人は直接会ったような面識はないはずとされています。
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