2018年12月31日月曜日
2018年12月27日木曜日
英雄たちの選択 選「敗北!白村江の戦い なぜ巨大帝国に挑んだのか?」
(2017日)645年より中大兄皇子が実権を握り、豪族が割拠する分権型社会から中央集権型社会へ改革を実行しようとした。当時の国際情勢で、唐は半島の新羅と良好な関係であり、隣接していた高句麗と南西部の百済とは緊張関係にあった。
倭国は、百済と有効関係にあったが、その百済が占領され、残った者たちが百済復興の救援依頼を申し込んできた。
歴史的には、皇子は承諾し兵を集め、派遣したが、2日で負けてしまったが、負けること計算して将兵を殺すためだったという説も発言された。
中大兄皇子の権力欲で外敵の脅威が誇張され、騙されたという説もあるようだ。
冷徹に全方位外交を展開してた訳ではなく、混乱して場当たり的な外交だったのやもしれず、本当のところはよく分からないようだ。
が、今日の情勢を理解するには、分からないなりにも古代に遡って考える必要があるそうだが、
関心が薄かったのですが、面白いものです。
2018年12月25日火曜日
先人たちの底力 知恵泉 「ものづくりの先覚者 田中久重 アイデア生む極意とは」
2018年12月24日月曜日
2018年12月20日木曜日
英雄たちの選択 選「土方歳三“明治”に死す 盟友・近藤勇の生死を握る決断」
が12月20日に再放映されました。
非常に人気のある人物である土方歳三の話でした。
新選組であることから許される可能性が低いものの、
明治の世に生き延びてもらいたかった人物だというのが、
出演者の皆さんの一致した意見でした。
2018年12月18日火曜日
先人たちの底力 知恵泉 「転換期のリーダー 徳川慶喜(後編)」
2018年12月17日月曜日
日本歴史鑑定 #182「李香蘭~日本と中国 二つの祖国に揺れた悲運の女優」
2018年12月13日木曜日
英雄たちの選択 「右大臣吉備真備 左遷からカムバックした男」
2018年12月12日水曜日
歴史秘話ヒストリア 第331回放送 「“天皇の先生”になった男 小泉信三「象徴」とは何か」
2018年12月11日火曜日
先人たちの底力 知恵泉 「転換期のリーダー 徳川慶喜(前編)」
2018年12月10日月曜日
日本歴史鑑定 #181「西郷の最期~西南戦争の真実」
2018年12月6日木曜日
昭和の選択「開戦を回避せよ!~近衞文麿・日米交渉の挫折~」
2018年12月5日水曜日
歴史秘話ヒストリア 第330回放送 「戦国の扉はオレが開く 最新研究 北条早雲」
2018年12月4日火曜日
2018年12月3日月曜日
日本歴史鑑定 #88 「忠臣蔵 討ち入り24時」(再)
2018年11月29日木曜日
2018年11月28日水曜日
歴史ヒスリトリア 傑作選 第324回放送 「まぼろしのノーベル賞 世界初!がんを作った男」
2018年11月27日火曜日
2018年11月26日月曜日
2018年11月22日木曜日
英雄たちの選択 選「室町幕府ミステリー 観応の擾乱 史上最大の兄弟げんか!」
が11月22日に再放映されました。
史上最大の兄弟げんかとしてありますが、背景も複雑で兄弟げんかだけで片付けられない話でした。写真は従来左が足利尊氏で、右が源頼朝と考えられていた肖像画ですが
左が高師直で、右が足利直義と見方が強くなっています。
いずれにしても高師直と足利直義の対立が最初の亀裂であるのですが両者の背負った人々の関係もあります。高師直に囲まれて失脚した足利直義が南朝に寝返るという前代未聞の事態になってしまいます。
結局のところ3代将軍の足利義満の代まで影響を引きずっていくようです。
本も売れているようになので一度読んでみたいです。
2018年11月21日水曜日
2018年11月20日火曜日
2018年11月19日月曜日
2018年11月15日木曜日
英雄たちの選択「徹底シミュレーション 江戸城攻略~由井正雪に勝機はあったか~」
大楠公の楠木正成の子孫を名乗る人物から軍学も学び、自分も「張孔堂」という塾を開き、弟子を募って講義を行ったそうですが、門下生が3000人にもなったそうです。門下生には大名の家臣た旗本もいたそうです。各地の浪人が集まるようになり、徳川家光が亡くなった時に幕府の転覆を画作しますが、門下生の中の密偵から計画が露呈して失敗に終わります。大名を改易したことによる浪人が増えたことが背景になりますが、幕府の武断政治から文治政治への転換のきっかけとなったそうです。
2018年11月14日水曜日
2018年11月13日火曜日
先人たちの底力 知恵泉「幕末動乱の処世術 島津久光 自分の器を自覚せよ!」
が11月13日に再放映されました。
2018年11月12日月曜日
【にっぽん!歴史鑑定】鎌倉幕府が恐れた日蓮|国難を次々と予言した男の真実
鎌倉時代、 幕府を震え上がらせた僧がいました。
武力を持たない。
権力も持たない。
しかしその言葉は、 時の支配者たちを恐れさせました。
その人物こそ、 日蓮です。
日蓮は単なる宗教家ではありませんでした。
社会不安、 大地震、 飢饉、 疫病、 そして外国の侵略という国家的危機を前に、 「このままでは日本は滅びる」と警告した改革者でもありました。
実際、 日蓮が警告した後、 モンゴル帝国による元寇という未曾有の国難が訪れます。
なぜ日蓮は時代の危機を見抜くことができたのでしょうか。
なぜ幕府は日蓮を危険視したのでしょうか。
そして日蓮が伝えようとした本当のメッセージとは何だったのでしょうか。
BS-TBS「にっぽん!歴史鑑定 鎌倉幕府が恐れた日蓮~国難を次々と予言した男」では、 鎌倉時代最大の宗教家の実像に迫っていました。
この記事では、 日蓮の生涯、 立正安国論、 幕府との対立、 元寇との関係、 そして現代にも通じる日蓮の思想を詳しく解説します。
この記事でわかること
- 日蓮とはどんな人物だったのか
- なぜ「国難の予言者」と呼ばれるのか
- 立正安国論とは何か
- 鎌倉幕府が日蓮を恐れた理由
- 元寇と日蓮の関係
- 現代人が学べる日蓮の教訓
3分でわかる日蓮
- 1222年に安房国で生まれる
- 比叡山などで仏教を学ぶ
- 法華経こそが唯一の正しい教えだと主張した
- 1260年に『立正安国論』を提出した
- 外国侵略の危機を警告した
- 流罪や死刑未遂を経験しながら布教を続けた
日蓮とは何者だったのか
日蓮は1222年、 現在の千葉県鴨川市周辺にあたる安房国で生まれました。
幼い頃から仏教への関心を持ち、 各地の寺院で学問を修めます。
当時の日本には、 天台宗、 真言宗、 浄土宗、 禅宗など様々な仏教宗派が存在していました。
日蓮は長年の研究の末、 法華経こそが釈迦の真意を伝える最高の教えだという結論に達します。
そして1253年、 「南無妙法蓮華経」を唱える教えを広め始めました。
日蓮 年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1222年 | 安房国に生まれる |
| 1253年 | 立宗宣言を行う |
| 1260年 | 立正安国論を提出 |
| 1261年 | 伊豆流罪 |
| 1271年 | 竜ノ口法難 |
| 1271年 | 佐渡流罪 |
| 1274年 | 赦免される |
| 1274年 | 文永の役 |
| 1281年 | 弘安の役 |
| 1282年 | 死去 |
鎌倉時代は「国難の時代」だった
災害の連続
13世紀の日本は決して平穏な時代ではありませんでした。
大地震、 洪水、 飢饉、 疫病が相次ぎます。
多くの人々が不安を抱え、 社会全体が混乱していました。
人々は「末法思想」に強く影響されていました。
広がる不安
末法思想とは、 仏法が衰え社会が混乱する時代が訪れるという考え方です。
鎌倉時代の人々は、 まさにその時代に生きていると感じていました。
立正安国論とは何だったのか
幕府への直訴
1260年、 日蓮は『立正安国論』を執筆します。
これは北条時頼へ提出された国家論でした。
内容は極めて衝撃的でした。
日本が混乱している原因は、 誤った仏教を信じているからだというのです。
国家への警告
日蓮は、 正しい教えに立ち返らなければ国は滅びると主張しました。
さらに内乱や外国からの侵略が起きる可能性を警告します。
これは宗教書であると同時に、 政治的な提言書でもありました。
なぜ幕府は日蓮を恐れたのか
既存宗派への激しい批判
日蓮は浄土宗をはじめ、 他宗派を厳しく批判しました。
そのため有力寺院や僧侶たちとの対立が激化します。
敵を増やすことを恐れなかったのです。
政治への発言
さらに日蓮は宗教の枠を超え、 国家運営に対しても意見を述べました。
幕府から見れば、 社会不安を拡大する危険人物とも映ったのです。
国難を予言した男
外国侵略への警告
日蓮が特に注目したのは、 海外情勢でした。
当時、 モンゴル帝国は世界最大規模の勢力へ成長していました。
日蓮は日本もその脅威に直面すると考えます。
立正安国論の警告
彼は、 国が正しい道を歩まなければ外国の侵略を受けると主張しました。
後に起きる元寇を連想させる内容だったため、 「予言者」と呼ばれるようになります。
竜ノ口法難とは何だったのか
死刑寸前の危機
1271年、 幕府は日蓮を捕らえます。
そして鎌倉の竜ノ口で処刑しようとしました。
これが有名な竜ノ口法難です。
奇跡の生還
伝承によれば、 処刑直前に発光現象が起き、 刑が執行できなくなったとされています。
結果として日蓮は処刑を免れ、 佐渡へ流罪となりました。
日蓮宗では重要な出来事として語り継がれています。
佐渡流罪で生まれた思想
最も厳しい試練
当時の佐渡島は流刑地として知られていました。
生活環境も非常に厳しく、 多くの流人が命を落としました。
しかし日蓮は布教を続けます。
信念の深化
逆境の中で、 日蓮の思想はさらに深まっていきました。
後の日蓮宗の基礎となる重要な著作もこの時期に書かれています。
そして元寇がやって来た
文永の役
1274年、 モンゴル帝国(元)による最初の日本侵攻が起きます。
これが文永の役です。
日蓮が警告していた外国侵略が現実となりました。
弘安の役
1281年には再び元軍が襲来します。
弘安の役です。
これによって日蓮の予言は的中したと受け止める人々も現れました。
日蓮が本当に伝えたかったこと
未来を予知したかったわけではない
日蓮の目的は占いではありませんでした。
社会の危機を直視し、 行動を促すことでした。
問題を見て見ぬふりするな。
そう訴えていたのです。
責任あるリーダーを求めた
為政者には国を守る責任がある。
そのためには正しい判断が必要だ。
日蓮の思想は、 政治と社会への強い問題提起でもありました。
なぜ現代でも支持されるのか
逆境に屈しない姿勢
日蓮は流罪や迫害に遭っても信念を曲げませんでした。
その強い精神力は現代人にも大きな影響を与えています。
社会への問いかけ
社会が混乱した時、 何を信じ、 どう行動するのか。
その問いは現代にも通じています。
もし幕府が日蓮の提言を受け入れていたら?
元への対応は違ったものになっていたかもしれません。
あるいは幕府と宗教の関係も変化していた可能性があります。
日蓮の存在は、 鎌倉時代の分岐点の一つだったと言えるでしょう。
歴史鑑定が描いた本当のテーマ
番組が描いたのは予言者の物語ではありませんでした。
危機の時代に真実を語ることの難しさです。
日蓮は権力者に迎合しませんでした。
たとえ迫害を受けても、 自ら正しいと信じることを訴え続けたのです。
日蓮から学ぶ3つの知恵
① 現実から目をそらさない
社会の問題を直視する勇気が必要です。
② 信念を持つ
逆境でも信じる道を貫きました。
③ 危機に備える
最悪の事態を想定することも重要です。
現代人が学ぶ日蓮の教訓
- 時代の変化に敏感になる
- 情報を多角的に見る
- 問題提起を恐れない
- 長期的な視点を持つ
- 信念と責任を両立する
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まとめ|日蓮は「国の未来」に警鐘を鳴らした改革者だった
日蓮は単なる宗教家ではありませんでした。
社会不安、 政治の混乱、 そして外国の脅威を見つめ、 国の未来に警鐘を鳴らした人物でした。
その主張は時に過激でしたが、 だからこそ権力者たちを動揺させたのです。
立正安国論。
竜ノ口法難。
佐渡流罪。
そして元寇。
その生涯は、 信念を貫いた戦いの連続でした。
BS-TBS「にっぽん!歴史鑑定 鎌倉幕府が恐れた日蓮~国難を次々と予言した男」は、 日蓮を単なる宗教家ではなく、 時代の危機を見抜いた改革者として再発見できる内容でした。
日蓮が恐れていたのは外国ではありません。
危機を知りながら行動しない人々の無関心だったのかもしれません。
2018年11月8日木曜日
英雄たちの選択 「武田勝頼・山城をめぐる最期の決断」
武田勝頼を検証する内容でした。
長篠の合戦で多くの家臣団を失ったことが原因だと思っていましたが、甲越同盟によって相模の北条家との甲相同盟が破綻したことが直接の原因と説明されました。甲相同盟が破綻して東西から挟まれる形になり高天神城に援軍を出すことが出来なくなり、それが元で家臣団の離反が進んだようです。
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵」と父信玄の名言通り、家臣団の離反によりお家を守ることが出来なかったようです。
2018年11月7日水曜日
歴史ヒスリトリア 第327回放送 「その切れ味は鋭く、美しく 日本人と刀 千年の物語」
2018年11月6日火曜日
2018年11月5日月曜日
日本歴史鑑定 #178「西郷隆盛の失脚~“英雄”から“逆賊”へ」
2018年11月1日木曜日
英雄たちの選択 選▽県誕生!奇跡の無血革命~大久保利通・廃藩置県の舞台裏
2018年10月31日水曜日
2018年10月30日火曜日
2018年10月29日月曜日
2018年10月25日木曜日
2018年10月24日水曜日
2018年10月23日火曜日
2018年10月22日月曜日
2018年10月18日木曜日
英雄たちの選択 選「ルールを破れ戦国ベンチャー~北条早雲 下剋上成功の秘密」
2018年10月16日火曜日
2018年10月15日月曜日
日本歴史鑑定 #98「最後の大奥 篤姫と和宮」(再)
10月15日に再放映されました。
今年の大河ドラマでの見どころのシーンになるはずの江戸城無血開場についての話でした。篤姫の輿入れの時に働いた西郷隆盛公に天障院篤姫が書状を書くシーンがどのようになるか今から楽しみです。
2018年10月11日木曜日
英雄たちの選択 選「“日本”を生んだ戦い 新視点!壬申の乱」
天智天皇の太子・大友皇子(弘文天皇の称号を追号)に対し、皇弟・大海人皇子(後の天武天皇)が地方豪族を味方に付けて反旗をひるがえしたものである。
反乱者である大海人皇子が勝利するという単なる皇位承継の争いと考えていましたが、
背景には当時の国際情勢である朝鮮半島の情勢も大きく影響していたのは初めて知りました。
日本書紀には大海人皇子(後の天武天皇)の自己防衛のように描かれていますが、
それは完全に違うような気がします。
大海人皇子(後の天武天皇)の戦略眼が凄いと思いました。
2018年10月10日水曜日
歴史ヒスリトリア 第324回放送 「まぼろしのノーベル賞 世界初!がんを作った男」
2018年10月9日火曜日
先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)「太宰治 その絶望を超えてゆけ」
2018年10月8日月曜日
歴史科学捜査班 第2回 軍事戦術学で検証!信長『三段撃ち』の真偽
戦国武将・織田信長と徳川家康の連合軍が武田勝頼率いる武田騎馬隊を打ち破った「長篠の戦い」は"日本の戦(いくさ)を変えた"と言われている。主力武器として火縄銃を使用した初めての戦とされているからである。そして信長は3000もの火縄銃を持った兵士を1000人ずつ3列に並ばせ順番に一斉射撃する「三段撃ち」を行ったとされているが、近年この有名な戦法に関して、あるひとつの疑問が浮上している。
それは...「三段撃ち」は本当に行われたのか!?
今回、歴史科学捜査班は「三段撃ち」の真偽を現代の「軍事戦術学」で徹底検証!本物の火縄銃を使った実験の結果は面白かったです。






