が10月26日に放映されました。
島津の退き口とも言われ有名な島津義弘公の的中突破とその後の話ですが、
興味深い内容でした。
まずこの的中突破を追撃しようとして井伊直政公は、この時の負傷が元で2年後に亡くなることになります。徳川にとって四天王の1人を失うことになる大きな痛手かと思います。
1500名の兵士の内、生きて薩摩に帰りついたのは80名だったいうことだったので、
いかに壮絶な行動であったのかと思ってしまいます。
しかしながら島津家が関が原の西軍で唯一本領安堵になったことも興味深いです。
幕末の討幕のもう一つの雄である毛利家とは対象的な結果かと思います。
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