2021年11月3日水曜日

英雄たちの選択 「“悲劇”の会津藩主・松平容保〜公武合体に賭けた夢〜」

 英雄たちの選択 「“悲劇”の会津藩主・松平容保〜公武合体に賭けた夢〜」が11月3日に放映されました。


会津松平家に9代目として養子に入ることから人生が始まります。養父から会津藩家訓による武家の棟梁たる徳川家への絶対随順を教育されたことが後の行動指針となったようです。
28歳の時の文久2年(1862年)に京都守護職に就任し、その後の人生が大きく変わることになります。家臣からは「まるで薪を背負って火を救おうとするようなもの」と諫められましたが、
会津藩家訓も断り切れなかったようです。
京都守護職時代には孝明天皇から信頼を得ており
公武合体を推進していましたが、慶応2年(1866年)の2月に徳川家茂の病死と12月に孝明天皇の崩御から人生が暗転します。
慶応4年(1868年)の鳥羽伏見の戦いのあとには朝敵になり、会津戦争の悲劇となります。
鳥羽伏見の戦いとその後の大阪脱出の責任は、徳川慶喜にあるはずですが連座されることになりました。


会津藩家訓の第一条に「大君の義、一いっ心しん大切に忠勤を存すべく、列国の例をもって自ら拠るべからず。 若し二ふた心ごころ懐かば、則ち我が子孫にあらず、面々決して従うべからず」に縛られた人生だったのかと思います。

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