2022年2月21日月曜日

にっぽん!歴史鑑定 #295「世直しの炎!大塩平八郎の乱」

にっぽん!歴史鑑定 #295「世直しの炎!大塩平八郎の乱」が2月21日に放映されました。


大塩平八郎が現代でいうノンキャリである大阪奉行所の与力でしたが、
正義漢として不正を暴いていました。
大塩を重用していた高井 実徳が江戸に栄転したことを機に、
大阪奉行所を辞して私塾で門弟を指導していました。

通説では、飢饉で民衆が喘ぐ中で豪商が米を買い占めて江戸に送っていたことに対し、
大塩平八郎が蜂起したことになっています。

大塩平八郎が蜂起する前に、幕府老中、水戸藩主徳川斉昭、昌平坂学問所林述斎あて
出していた建議書には九割九分までは、「不正無尽」の証拠を示すデータの羅列でした。
無尽とは、一定の口数と給付金額を定め、加入者を集めて定期に掛け金を払い込ませ、
抽選や入札により金品を給付することですが、胴元の上がりである収益金は約3割でした。
現代でいうと宝くじに近いものであったようです。
この上がりが幕府のキャリア組に上納されて賄賂の温床となっていました。

これに怒り大塩平八郎は蜂起しますが、蜂起直前に門弟の中から内部通報者が出て、
目的は果たすことなく終わってしまいます。

大塩平八郎の乱では、天満を中心とした大坂市中の5分の1が焼失し、当時の大坂の人口約36万人の5分の1に当たる7万人程度が焼け出され、焼死者は少なくとも270人以上であったそうです。もう一つ現在の宝くじの収益金の配分ですが地方自治体などの収益金は39.9%だそうです。



2022年2月16日水曜日

英雄たちの選択「戦国ミステリー 千利休はなぜ死んだ? 〜天下人秀吉との攻防〜」

英雄たちの選択「戦国ミステリー 千利休はなぜ死んだ? 〜天下人秀吉との攻防〜」が2月16日に放送されました。


千利休の切腹については映画化などもされていて理由については諸説あります。千利休が力を持ちすぎたことに対する秀吉の警戒が一番の理由ですが、秀吉も利休が詫びて来た時に許すつもりだったのではないでしょうか。

2022年2月15日火曜日

先人たちの底力 知恵泉  温泉スペシャル (1)「文豪たちの名湯活用術」

 先人たちの底力 知恵泉  温泉スペシャル (1)「文豪たちの名湯活用術」が2月15日に放映されました。



与謝野晶子さんが全国で100以上の温泉を踏破したなど文豪と温泉の関わりを解説する内容でした。

2022年2月14日月曜日

にっぽん!歴史鑑定 #294「お札になった女流作家 樋口一葉」

にっぽん!歴史鑑定 #294「お札になった女流作家 樋口一葉」が2月14日に放映されました。



非常にお金に苦労した偉人として貧乏から脱出のために小説家を目指したなどの解説されました。

2022年2月9日水曜日

英雄たちの選択「足利義満 人生最大の危機 ~発覚!大謀反計画~」

英雄たちの選択「足利義満 人生最大の危機 ~発覚!大謀反計画~」が2月9日に放映されました。


南北朝の統一を果たしたあとに日明貿易を復活させ、「能」を発展させた足利義満の権力を掌握して行く過程を解説する内容でした。

2022年2月8日火曜日

先人たちの底力 知恵泉  「大田南畝 “豊かに生きる”働き方を!」

 先人たちの底力 知恵泉  「大田南畝 “豊かに生きる”働き方を!」が2月8日に再放映されました。

副業の狂歌で大ブームを起こし、収入を得て本業もまた出世して行く大田南畝の生き方を解説する内容でした。

2022年2月7日月曜日

にっぽん!歴史鑑定 #293「若武者 上杉謙信」

にっぽん!歴史鑑定 #293「若武者 上杉謙信」が2月7日に放映されました。


若き日の上杉謙信を紹介する内容でした。十代の頃から病弱の兄に変る軍代として軍略家としての才能を発揮したことや、通説では確執があったとされる兄との関係も解説されました。

2022年2月2日水曜日

歴史探偵「缶詰は見た 日本近現代史」

 歴史探偵「缶詰は見た 日本近現代史」が2月2日に放映されました。


昭和19年に香川で製造された赤飯の缶詰めの説明から缶詰が戦争などで果たした役割などを解説する内容でした。

英雄たちの選択 「スカウトされた大王〜地方出身!継体天皇の実像〜」

英雄たちの選択 「スカウトされた大王〜地方出身!継体天皇の実像〜」が2月2日に再放映されました。



後嗣を残さずに崩御した第25代武烈天皇のあとを継いで越前の国から第26代天皇に即位しました。第15代応神天皇の5代孫である傍系王族出身説と、地方の実力のある豪族が大王位を簒奪したとする説もあり謎が多いです。

2022年2月1日火曜日

先人たちの底力 知恵泉「古田織部 “数寄”を究めた その先に」

 先人たちの底力 知恵泉「古田織部 “数寄”を究めた その先に」が2月1日に再放映されました。


古田織部の好き(数奇)を極めた人生を解説する内容でした。
武将として信長そのあと秀吉に仕えていますが使番として数多くの戦に出陣しています。関ケ原の合戦では茶道の弟子である佐竹義宣を中立を守らせるという非常な役割を果たしました。この恩賞で所領が1万石となり大名となっています。
茶人としては千利休の弟子として利休七哲に数えられています。千利休の切腹後は、秀吉の「数寄の和尚」(筆頭茶堂)となり第一人者となっています。徳川秀忠以下数多くの大名を弟子にしており、その一人が
佐竹義宣です。
古田織部と言えば、織部焼ですがあえて歪ませて同じものが一つもない世界観が織部の死後に失われたことは惜しいものです。
最期は豊臣方への内通の嫌疑で捕らわれて切腹なりましたが、弁明を全くしなかったそうです。