2018年2月28日水曜日

尾上松也の謎解き歴史ミステリー 第27回 なぜ平清盛は頂点に昇りつめたのか?

尾上松也の謎解き歴史ミステリー 第27回 なぜ平清盛は頂点に昇りつめたのか?
が2月28日に再放映されました。

成り上がりの暴君・傲慢な性格の持ち主だというイメージが強いですが、
日宋貿易に見られるような財政基盤の開拓、宋銭を日本国内で流通させ通貨経済の基礎を築き、経が島築造に見られる公共事業の推進、時代の矛盾に行き詰まりつつあった貴族政治を打ち破り、(貴族的要素が強いとは言え)日本初の武家政権を打ち立てるなど、
優れた功績も多く残しています。
中途で失敗に終わってしまったとはいえ、福原(今の神戸)に目をつけ、交易を通じて第二の都として発展させようとしたことから、先見性も高かったと思います。

最低限平氏にあらずんば人にあらず」と言ったのは清盛ではなく、
妻の弟である平時忠であったという事実くらいは皆に知ってもらいたいです。

視聴率はさっぱりですが、2012年の大河ドラマの「平清盛」では実際の清盛像を
描きたがったのではないでしょうか。

2018年2月27日火曜日

先人たちの底力 知恵泉 「酒との上手なつきあい方 日本人と酒」

先人たちの底力 知恵泉 「酒との上手なつきあい方 日本人と酒」が2月26日に放映されました。




日本人と酒との関わりと説明する会でした。日本第一酒造神として名高い松尾神社に出演者が出かけていました。
後醍醐天皇の鎌倉幕府打倒の企ての時の無礼講のエピソードが面白かったです。

2018年2月26日月曜日

にっぽん!歴史鑑定 #149「2・26事件 緊迫の4日間」

にっぽん!歴史鑑定 #149「2・26事件 緊迫の4日間」が2月26日に放映されました。


2.26事件の4日間だけでなくその背景まで説明してありました。
反乱軍に参加した多くの下士官が自分たちが反乱軍になっていることを自覚していなかったという事実は意外でした。


2018年2月22日木曜日

片岡愛之助の解明!歴史捜査  #76 武田氏はなぜ滅亡したのか? 信長VS勝頼の真実を追え!

片岡愛之助の解明!歴史捜査  #76 武田氏はなぜ滅亡したのか? 信長VS勝頼の真実を追え! が2月22日に再放送されました。


武田信玄公の死より10年で武田家を滅亡させてしまった。
武田勝頼を検証する内容でした。
長篠の合戦で多くの家臣団を失ったことが原因だと思っていましたが、
甲越同盟によって相模の北条家との甲相同盟が破綻したことが直接の原因と説明されました。甲相同盟が破綻して東西から挟まれる形になり高天神城に援軍を出すことが出来なくなり、それが元で家臣団の離反が進んだようです。
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵」と父信玄の名言通り、
家臣団の離反によりお家を守ることが出来なかったようです。



英雄たちの選択 「真説!北の関ヶ原合戦~直江兼続VS.最上義光~」

英雄たちの選択 「真説!北の関ヶ原合戦~直江兼続VS.最上義光~」
が2月22日に放映されました。


「北の関ヶ原」といわれる戦い長谷堂城の戦いを中心とした話でした。
生誕からの生い立ちについては2009年の大河ドラマの天地人で知っていた内容でした。
有名な直江状から会津征伐まで細かく説明してありました。

石田三成挙兵の報を受けて、引き換えした徳川軍を間髪入れずに上杉軍が追撃出来ていたら歴史が変わっていたかも知れません。


2018年2月21日水曜日

尾上松也の謎解き歴史ミステリー 第25回 徳川家康は2度死んだ?

尾上松也の謎解き歴史ミステリー 第25回 徳川家康は2度死んだ?
が2月28日に再放映されました。


徳川家康の影武者伝説の内で、大阪夏の陣で家康が死んだという説の話でした。

徳川家康の影武者伝説は3つの説があるようです。
①村岡素一郎が『史疑 徳川家康事蹟』で記した桶狭間の戦いのあとに世良田二郎三郎元信という、全くの別人が成り代わった説
②隆慶一郎の小説『影武者徳川家康』で家康が1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの際に暗殺され、その後は影武者・世良田二郎三郎が代役として家康に成り代わったという説。 この説は原哲夫による漫画にもなっており、西田敏行さん主演のドラマにもなっています。
 ③大阪夏の陣で真田信繁(幸村)の奮戦で、駕籠で逃亡中に後藤基次(又兵衛)の槍で討たれたという説

原哲夫の漫画を読んでいたので懐かしいと思いました。

2018年2月20日火曜日

先人たちの底力 知恵泉 「上杉謙信、武田信玄、毛利元就 最強組織術SP」

先人たちの底力 知恵泉 「上杉謙信、武田信玄、毛利元就 最強組織術SP」
が2月20日放映されました。


上杉謙信と武田信玄を比較する番組はよくありますが、
毛利元就まで加えて比較したのは珍しいかと思います。

最終的に明治維新まで続いた毛利家の後継者作りが良かったのかも知れません。