6点もの作品が国宝に指定されており、日本の絵画史で別格の評価を受けていますがよく知りませんでした。武家の家に生まれたようですが、文芸で身を立てる唯一の方法である寺に入り禅僧になりましたが「雪舟」は号です。
10歳頃の京都五山の第2位の相国寺に移り、禅と絵を学んだということは、よほどの人物だったかと思われます。
しかしながら京都では身を立てることが出来なかったようで24歳頃に周防国の守護大名の大内氏の庇護を受けてから活躍して行ったようです。
代表作である天橋立図にも興味深い説の説明がありました。
まず現存する天橋立図が下絵であったというのもの、そしてベストのアングルから描かれていないのに描く以外に理由があったというものです。
大内氏の軍事戦略のための諜報活動として地形図を描いたという説でした。
これもまた興味深い内容でした。
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