米国との開戦を何としても回避したい昭和天皇の戦争回避への苦闘を解説する内容でした。
2019年7月31日水曜日
英雄たちの選択スペシャル▽そして万葉集が生まれた~大伴家持が残した日本人の心
英雄たちの選択スペシャル▽そして万葉集が生まれた~大伴家持が残した日本人の心 が7月31日に放映されました。
万葉集の4516首の中には、歴史書に記されることのない忖度のない本当の歴史が隠されているという内容でした。
万葉集の4516首の中には、歴史書に記されることのない忖度のない本当の歴史が隠されているという内容でした。
2019年7月30日火曜日
先人たちの底力 知恵泉・選「丹下健三 後編・みんなの力を合わせるには」
先人たちの底力 知恵泉「丹下健三 後編・みんなの力を合わせるには」が7月30日に再放映されました。
国内外に300を超える作品・建造物を手がけた、建築家・丹下健三。終生プロジェクト実現に向けまい進する中、常にリーダーとしてスタッフに問いかけ続けたことがあった。
国内外に300を超える作品・建造物を手がけた建築家・丹下健三。終生プロジェクト実現に向けまい進する中、常にスタッフに問いかけ続けた事がある。後編は1970年の大阪万博のマスタープランを手がけた際の芸術家・岡本太郎とのエピソードを紹介。太郎の無理難題に対しスタッフ全員の力を集結し成功へ導いた。リーダーとしてブレない丹下の矜持(きょうじ)はその後新宿の都庁舎建設へと向かっていく。そこに秘めた思いとは?
2019年7月24日水曜日
歴史秘話ヒストリア 第355回放送 「最後の大名 時代を駆ける」
歴史秘話ヒストリア 第355回放送 「最後の大名 時代を駆ける」が7月24日に放映されました。
1941年まで存命であったので、最後の大名と言われた林忠崇の波乱の人生のエピソードでした。幕末にお家を存続の為に新政府に降伏するも自分自身は脱藩して戊辰戦争の旧幕府軍に身を投じた姿が印象的でした。
2019年7月23日火曜日
先人たちの底力 知恵泉・選▽丹下健三 前編・巨大プロジェクトを成功させるには
先人たちの底力 知恵泉「丹下健三 前編・巨大プロジェクトを成功させるには」が7月23日に再放映されました。
広島平和記念公園や1964年東京五輪の国立代々木競技場など、時代を象徴する建築を手掛けた丹下健三。なぜ彼は巨大プロジェクトを次々と成功させることができたのか。
1964年・東京五輪の国立代々木競技場や1970年・大阪・万国博覧会など、時代を象徴する建造物を手掛(が)けた丹下健三。なぜ彼は巨大プロジェクトを次々と成功させることができたのか。前編では、丹下健三の最初の作品となる「広島・平和記念公園」と「国立代々木競技場」建設の秘められたエピソードでした。
2019年7月22日月曜日
にっぽん!歴史鑑定 #144「徳川家光と弟・保科正之の絆」
にっぽん!歴史鑑定 #144「徳川家光と弟・保科正之の絆」が7月22日に再放映されました。
徳川秀忠公死後に、徳川家光公に重用された保科正之公の人格面も含めた素晴らしさを
説明する話でした。
将軍の子でありながら出自を隠され育ち兄である将軍とその跡継ぎにまで
忠義を尽くしたということで日本屈指の名君との評価が高い人物です。
養父の保科正光に恩義のために生涯松平性を名乗らず保科性を貫いたことなど
日本人の好む謙虚さを持った人物かと思います。
晩年に定めた『会津家訓十五箇条』には第一条に「会津藩たるは将軍家を守護すべき存在であり、藩主が裏切るようなことがあれば家臣は従ってはならない」と記されちます、
幕末の松平容保公が最後までこの遺訓を守り最後まで薩長を戦ったのは有名な話です。
保科正之公がいなければ徳川260年の治世はもっと早く終わっていたというのも
正しいと思います。
徳川秀忠公死後に、徳川家光公に重用された保科正之公の人格面も含めた素晴らしさを
説明する話でした。
将軍の子でありながら出自を隠され育ち兄である将軍とその跡継ぎにまで
忠義を尽くしたということで日本屈指の名君との評価が高い人物です。
養父の保科正光に恩義のために生涯松平性を名乗らず保科性を貫いたことなど
日本人の好む謙虚さを持った人物かと思います。
晩年に定めた『会津家訓十五箇条』には第一条に「会津藩たるは将軍家を守護すべき存在であり、藩主が裏切るようなことがあれば家臣は従ってはならない」と記されちます、
幕末の松平容保公が最後までこの遺訓を守り最後まで薩長を戦ったのは有名な話です。
保科正之公がいなければ徳川260年の治世はもっと早く終わっていたというのも
正しいと思います。
2019年7月17日水曜日
英雄たちの選択「名人円朝 新時代の落語に挑む!~熊さん八っつぁんの文明開化~」
英雄たちの選択「名人円朝 新時代の落語に挑む!~熊さん八っつぁんの文明開化~」が7月17日に放映されました。
歴代の名人の中でも別格に巧いと言われた初代三遊亭圓生が明治新政府から「落語家頭取」に任命される。新時代に演芸に挑む奮闘を解説する内容でした。
歴代の名人の中でも別格に巧いと言われた初代三遊亭圓生が明治新政府から「落語家頭取」に任命される。新時代に演芸に挑む奮闘を解説する内容でした。
2019年7月16日火曜日
先人たちの底力 知恵泉「菅原道真 “オタク男子が自分らしく生きる極意”」
先人たちの底力 知恵泉「菅原道真 “オタク男子が自分らしく生きる極意”」が7月16日に放映されました。
学問の神様として敬われると同時に日本三大怨霊でもあります。先代の宇多天皇に重用されて、次代の醍醐天皇から疎まれて左遷されました。後の時代の本多正純が初代将軍の徳川家康から重用されて、二代目将軍の徳川秀忠に罷免されたのに似た話です。
出世し過ぎることを父親から心配されていたことも相通ずるところがあります。
出世し過ぎることを父親から心配されていたことも相通ずるところがあります。
2019年7月10日水曜日
英雄たちの選択 藤堂高虎「家康暗殺計画」運命の決断
英雄たちの選択 藤堂高虎「家康暗殺計画」運命の決断
が7月10日に放映されました。
若き日に主君を何度も変えたことで評価が分かれます。徳川家康の暗殺計画を食い止めるのを解説されました。築城の名手であり、会計にも詳しかった名将であったかと思います。
が7月10日に放映されました。
若き日に主君を何度も変えたことで評価が分かれます。徳川家康の暗殺計画を食い止めるのを解説されました。築城の名手であり、会計にも詳しかった名将であったかと思います。
2019年7月9日火曜日
先人たちの底力 知恵泉「紫式部 “こじらせ女子が自分らしく生きる極意”」
先人たちの底力 知恵泉「紫式部 “こじらせ女子が自分らしく生きる極意”」が7月9日に放映されました。
大作「源氏物語」の作者で才女であるが、陰湿な女性であったという話でした。同じ時代の才女である清少納言との比較がよくなされますが、清少納言への嫉妬や周りの女房たちの悪口もあったようで、やはり「陰」であったようです。
大作「源氏物語」の作者で才女であるが、陰湿な女性であったという話でした。同じ時代の才女である清少納言との比較がよくなされますが、清少納言への嫉妬や周りの女房たちの悪口もあったようで、やはり「陰」であったようです。
2019年7月3日水曜日
英雄たちの選択「警察誕生~川路利良、恩人西郷との対決~」
英雄たちの選択「警察誕生~川路利良、恩人西郷との対決~」が7月3日に放映されました。
薩摩藩士出身で初代大警視(現代の警視総監)として「日本警察の父」と呼ばれた人物の話でした。
不平士族の反乱では、密偵を用いて動向を探ったそうですが、西南戦争の時には送り込んだ中原尚雄らが捕らえられて不平士族の間では憎悪の対象になったようです。
警察制度創始者として評価が高く、その語録は警察官のバイブルとして読み継がれているそうです。
地元の鹿児島では、「西郷隆盛を暗殺しようとした男」として評価が低かったようですが、評価が見直されて来ているそうです。
2019年7月2日火曜日
先人たちの底力 知恵泉 「ヒールの言い分!時代劇定番の大悪人 松永久秀」
先人たちの底力 知恵泉 「ヒールの言い分!時代劇定番の大悪人 松永久秀」が7月2日に再放映されました。
将軍を暗殺し、東大寺大仏殿を焼き、織田信長に二度の反逆、戦国最大の悪人と云われた松永久秀は本当は悪い人物ではないという内容でした。
松永久秀は、出自が明らかでなく前半生は良く分かっておらず一代での出世した傑出した人物であったようです。
将軍の足利義輝の暗殺の首謀者のような印象がありますが嫡男の久通が実際の襲撃に参加はしているが久秀本人は大和国にいたので首謀者とは言えないと思われます。
東大寺大仏殿の焼失も、東大寺大仏殿の戦いのときに相手方である三好三人衆側の失火であって「戦国時代に仏頭は松永久秀の兵火によって焼き落とされ」と紹介されていたり、織田信長が徳川家康に松永久秀を紹介する時に、三悪事の1つとして東大寺大仏を焼討したと紹介して、久秀が焼討したと現在でも語られているのは事実と異なるようです。
織田信長に二度の反逆について、ゲームの信長の野望でも「義理」のパラメーターが最低のようですが、元々の主家である三好家には一度も背いていません。織田信長への臣従そのものがそもそも本意ではなかったのでしょう。
三好政権の中での優れた行政手腕や、文化人のしての側面などは殆ど無視されて戦国最大の悪人とまで称されてしまうのは松永家が断絶して擁護する意見などが出ず、勝者によって必要以上に貶められた人物だっただと思いました。
松永久秀は、出自が明らかでなく前半生は良く分かっておらず一代での出世した傑出した人物であったようです。
将軍の足利義輝の暗殺の首謀者のような印象がありますが嫡男の久通が実際の襲撃に参加はしているが久秀本人は大和国にいたので首謀者とは言えないと思われます。
東大寺大仏殿の焼失も、東大寺大仏殿の戦いのときに相手方である三好三人衆側の失火であって「戦国時代に仏頭は松永久秀の兵火によって焼き落とされ」と紹介されていたり、織田信長が徳川家康に松永久秀を紹介する時に、三悪事の1つとして東大寺大仏を焼討したと紹介して、久秀が焼討したと現在でも語られているのは事実と異なるようです。
織田信長に二度の反逆について、ゲームの信長の野望でも「義理」のパラメーターが最低のようですが、元々の主家である三好家には一度も背いていません。織田信長への臣従そのものがそもそも本意ではなかったのでしょう。
三好政権の中での優れた行政手腕や、文化人のしての側面などは殆ど無視されて戦国最大の悪人とまで称されてしまうのは松永家が断絶して擁護する意見などが出ず、勝者によって必要以上に貶められた人物だっただと思いました。
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