邪馬台国の近畿説の元にもなっている大阪の古墳群について
と倭の五王が朝鮮半島情勢にどのように関わっていたかの話でした。
中国の歴史書にある讃、珍、済、興、武の五人の王ですが、
「済」→允恭天皇、「興」→安康天皇、「武」→雄略天皇は研究者の中でも一致していますが「珍」、「済」は諸説あるようです。
当時の朝鮮半島の情勢で、倭は百済と組み、高句麗に対抗したようであるが
百済は敗れて倭は朝鮮半島の南の鉄の権益を失う危機にあったそうです。
古墳群については天皇陵として宮内庁が発掘調査の許可を出していないので、
発掘調査を出して邪馬台国の場所の畿内説を検証してもらいたいと思います。