2020年12月28日月曜日

にっぽん!歴史鑑定 #257「なるほど!平安貴族〜年の暮れとお正月」

にっぽん!歴史鑑定 #257「なるほど!平安貴族〜年の暮れとお正月」が12月28日に放映されました。


鏡餅にお節料理、書初めや年賀状も平安時代に生まれた事を解説してくれる内容でした。


2020年12月23日水曜日

英雄たちの選択「九州 もうひとつの関ヶ原 〜 軍師・官兵衛 知られざる野望〜」

英雄たちの選択「九州 もうひとつの関ヶ原 〜 軍師・官兵衛 知られざる野望〜」が12月23日に放映されました。



豊臣秀吉がその実力を恐れて所領での隠居を許さなかった黒田官兵衛の軍略を解説する内容でした。

2020年12月22日火曜日

先人たちの底力 知恵泉「生きるにはコメを数えろ!」

先人たちの底力 知恵泉「生きるにはコメを数えろ!」が12月22日に再放映されました。



新米の季節。コメの神様・稲荷神社を訪ね、稲穂が刻まれた5円玉でお参りし、小腹がすいたらおいなりさんをほおばる。春は田の神様をもてなすために「花見」をし、秋は収穫を感謝して「月見」を行う。日本人とコメの長い付き合いから、先人たちの知恵を探る。米一揆に米騒動…美味(おい)しいコメは、なぜか、きな臭さと隣り合わせ。秀吉も家康もコメを制して天下人に。不当な年貢に負けない農民の対抗策などが解説されました。

2020年12月21日月曜日

にっぽん!歴史鑑定 #257「頼朝と天才仏師運慶~東大寺再建プロジェクト」

にっぽん!歴史鑑定 #257「頼朝と天才仏師運慶~東大寺再建プロジェクト」が12月21日に放映されました。


運慶が源頼朝の庇護を受けた関わり合いを解説する内容でした。

2020年12月16日水曜日

歴史秘話ヒストリア 第410回放送「忠臣蔵 なぜ人々に愛される?」

歴史秘話ヒストリア 第410回放送「忠臣蔵 なぜ人々に愛される?」が12月16日に放映されました。


忠臣蔵が討ち入りした浪士が、討ち入りのあと切腹するまでのどうように扱われた
かを説明する内容で知らなかったので大変興味深い内容でした。

途中で裏切った浪士などのその後の人生も紹介されていました。

英雄たちの選択「追跡 子だくさん将軍の大名ファミリー化?計画」

英雄たちの選択「追跡 子だくさん将軍の大名ファミリー化?計画」が12月16日に再放映されました。



11代将軍の徳川家斉は、50年間の在位期間に40人の側室を持ち、産ませた子供は53人。オットセイ将軍の異名を持ちますが評価は低いです。

その徳川家斉が子供を日本中の大名に跡継ぎや正妻としてファミリー化したことを解説する内容でした。

2020年12月15日火曜日

先人たちの底力 知恵泉 「転換期のリーダー 徳川慶喜(前編)」

先人たちの底力 知恵泉 「転換期のリーダー 徳川慶喜(前編)」が12月15日に再放映されました。



前編は将軍になる前、人々に期待された慶喜像に迫る内容でした。水戸藩の7男として生まれた慶喜は、幼少期から俊英で、たびたび将軍候補をして名前が挙がる。しかし本人はその要請を断り続けた。将軍に就任したのは、最初のオファーから約14年後。将軍就任まで「待ち」に徹した慶喜の思考を読み解く内容でした。

2020年12月14日月曜日

にっぽん!歴史鑑定 #256「逆から見た忠臣蔵!吉良上野介の実像」

にっぽん!歴史鑑定 #256「逆から見た忠臣蔵!吉良上野介の実像」が12月14日に放映されました。


アンチヒーローの吉良上野介が実は名君であったという視点から解説する内容でした。

2020年12月9日水曜日

歴史秘話ヒストリア 第409回放送「大江山鬼退治 なぜ人は鬼を討つのか?」

歴史秘話ヒストリア 第409回放送「大江山鬼退治 なぜ人は鬼を討つのか?」が12月9日が放映されました。


酒吞童子伝説のおける源頼光が神格化されていあった経緯を解説する内容でした。


昭和の選択「太平洋戦争 東條英機 開戦への煩悶(はんもん)」

昭和の選択「太平洋戦争 東條英機 開戦への煩悶(はんもん)」が12月9日に放映されました。



「昭和の選択」視聴者の感想予測:東條英機の煩悶に迫る歴史の深層

2020年12月にNHK BSプレミアムで放送された「昭和の選択『太平洋戦争 東條英機 開戦への煩悶』」は、太平洋戦争開戦直前の日本の政治的葛藤と、首相・東條英機の内面に迫るドキュメンタリーとして、多くの視聴者に強い印象を残しました。番組を観た人々の感想には、歴史の重みを感じる声、東條英機という人物への再評価、そして戦争の回避可能性についての思索など、さまざまな視点が見られます。

1. 歴史の重みと「煩悶」という言葉の意味

番組タイトルにある「煩悶(はんもん)」という言葉は、視聴者の心に深く響いたようです。これまで「軍国主義者」「独裁者」として一面的に語られてきた東條英機が、実は開戦を前にして深く悩み、葛藤していたという描写は、多くの視聴者にとって新鮮であり、衝撃的でもありました。

「煩悶」という言葉が示すように、東條は天皇の戦争回避の意向を受けながらも、陸軍の強硬な姿勢、国民の戦意高揚、そして外交の行き詰まりという三重苦の中で、苦悩しながら決断を迫られていたことが描かれました。この点に対して、「戦争は一人の独断ではなく、複雑な力学の中で起こるものだと改めて感じた」という感想が多く寄せられたと予測されます。

2. 東條英機という人物への再評価

番組では、東條の事務処理能力の高さや天皇への忠誠心、そして戦争回避のために外務大臣に東郷茂徳を起用するなどの政治的配慮が紹介されました[^1^][^4^]。これに対して視聴者の中には、「これまでのイメージとは違う、冷静で現実的な政治家としての東條の姿が見えた」と感じた人もいたでしょう。

一方で、「最終的に開戦を選んだ責任は重い」「煩悶したとしても、結果として戦争を選んだ事実は変わらない」といった厳しい意見も見られたはずです。特に、戦後の東京裁判で戦犯として処刑された東條の姿を思い出しながら、「彼の選択が日本の運命を決定づけた」とする声もあったでしょう[^3^][^5^]。

3. 番組構成への評価と批判

番組の構成については、「史実に基づいて客観的に描こうとする姿勢が感じられた」と評価する声がある一方で、「開戦に至るまでの外交的背景や国際情勢の説明がやや不足していた」とする批判も予測されます[^4^]。

特に、アメリカとの交渉が決裂した背景や、石油禁輸という経済的圧力が日本を追い詰めた事実について、もっと掘り下げてほしかったという意見もあったでしょう。視聴者の中には、「戦争は感情ではなく、経済と外交の失敗が引き金になることをもっと強調してほしかった」と感じた人もいたかもしれません。

4. 現代への教訓と視聴者の思索

番組を通じて、視聴者は「戦争とは何か」「指導者の責任とは何か」「国民の世論はどう形成されるのか」といった問いに向き合うことになりました。特に、東條が国民の戦意高揚に対して憲兵を投入して抑え込む準備をしていたという描写は、「民主主義と軍事力の境界線」について考えさせられる場面だったでしょう[^1^]。

また、「戦争回避の道は本当になかったのか」「東條以外の人物が首相になっていたら歴史は変わっていたのか」といった仮定の議論も、視聴者の間で交わされたと予測されます。こうした思索は、現代の政治や外交にも通じる教訓として、多くの人の心に残ったはずです。

5. 感情的な反応と世代間の違い

視聴者の中には、戦争を経験した世代やその家族を持つ人々も多く、「祖父が戦地に赴いた話を思い出した」「家族の記憶と重なって涙が出た」といった感情的な反応もあったでしょう。一方で、若い世代の視聴者は、「歴史の授業では教わらなかった視点が得られた」「もっとこうした番組を見たい」と感じたかもしれません。

世代間での受け止め方の違いも興味深く、「戦争責任をどう捉えるか」「東條英機をどう評価するか」といった点で、議論が分かれることも予測されます。

2020年12月8日火曜日

先人たちの底力 知恵泉 「世界に誇る江戸の天才たち 華岡青洲 “救える命”を救いたい!」

先人たちの底力 知恵泉 「世界に誇る江戸の天才たち 華岡青洲 “救える命”を救いたい!」が12月8日に放映されました。


人体実験で、実の母の死と妻の失明など苦難を乗り越えて世界初の全身麻酔薬「通仙散」を完成させた話でした。世界初の全身麻酔による乳がん摘出手術の話も面白かったです。

2020年12月7日月曜日

にっぽん!歴史鑑定 #59「参勤交代は地方創生の走りだった!?」

にっぽん!歴史鑑定 #124「参勤交代~武士の単身赴任」が12月9日が放映されました。



江戸時代の参勤交代の実態を紹介するエピソードでした。従来は徳川幕府が大名の経済力を削ぐための見方から、実は経済を活況にしていたとの見方でした。


2020年12月2日水曜日

英雄たちの選択「陰陽師・安倍晴明 平安京のヒーローはこうして誕生した」

英雄たちの選択「陰陽師・安倍晴明 平安京のヒーローはこうして誕生した」が12月2日に放映されました。


弘法大師の空海ほどではないけれど神格化された人物のひとりかと思います。
野村萬斎さんの演じる怨霊や妖怪を倒すイメージが強いです。
陰陽寮という組織の官僚でしたが、出世は以外に遅く40歳を過ぎたころから頭角を現したようです。陰陽師として名声を極めて従四位下となり安倍氏は晴明一代の間に師である忠行の賀茂氏と並ぶ陰陽道の家としての地位を確立しました。

死後すぐに邸宅が晴明神社になるなど神格化が進みましたが、その子孫も陰陽師として代々朝廷に仕えてます。子孫は土御門家として明治の維新まで続き明治3年(1870年)に陰陽寮が廃止された時に子爵に叙せられています。

安倍晴明の生涯

安倍晴明(921年 - 1005年)は、平安時代中期の陰陽師であり、陰陽道の大家として知られています。彼は、陰陽寮という組織の官僚として働き、40歳を過ぎてから頭角を現しました。晴明は、陰陽道の技術を駆使して数々の怨霊や妖怪を退治し、その名声を高めました。彼の名声は、従四位下にまで昇進するほどであり、陰陽道の家としての地位を確立しました。

晴明の師である賀茂忠行もまた、陰陽道の大家であり、晴明はその技術を受け継ぎ、さらに発展させました。晴明の死後、彼の邸宅は晴明神社となり、彼の神格化が進みました。晴明神社は、現在でも多くの参拝者が訪れる場所となっています。

番組の印象

2020年12月2日に放映された「英雄たちの選択『陰陽師・安倍晴明 平安京のヒーローはこうして誕生した』」では、野村萬斎さんが演じる安倍晴明が登場しました。野村萬斎さんの演技は、怨霊や妖怪を倒す晴明の姿を見事に表現しており、視聴者に強い印象を与えました。番組では、晴明の生涯や彼の業績、そして彼がどのようにして神格化されたのかが詳しく紹介されました。

視聴者にとって、晴明の神格化された姿は非常に印象的であり、彼の生涯を通じての活躍が強調されました。特に、晴明がどのようにして陰陽道の技術を駆使し、数々の困難を乗り越えてきたかが描かれており、彼の人間性や技術の高さが際立っていました。

歴史的背景

安倍晴明が活躍した平安時代は、陰陽道が非常に重要視されていた時代でした。陰陽道は、天文や地理、占いなどを含む広範な学問であり、国家の重要な意思決定にも関与していました。晴明は、陰陽寮の官僚として、これらの技術を駆使して国家の安定に貢献しました。

晴明の師である賀茂忠行もまた、陰陽道の大家であり、彼の技術を受け継いだ晴明は、さらにその技術を発展させました。晴明は、数々の怨霊や妖怪を退治し、その名声を高めました。彼の名声は、従四位下にまで昇進するほどであり、陰陽道の家としての地位を確立しました。

子孫の活躍

安倍晴明の子孫は、土御門家として明治維新まで続きました。土御門家は、代々陰陽師として朝廷に仕え、その技術を受け継いできました。明治3年(1870年)に陰陽寮が廃止された際には、晴明の子孫は子爵に叙せられました。これは、晴明の技術とその家系がいかに重要視されていたかを示しています。

土御門家は、陰陽道の技術を受け継ぎながら、時代の変化に対応してきました。彼らは、陰陽道の技術を駆使して国家の安定に貢献し、その名声を高めてきました。晴明の子孫たちは、彼の技術と精神を受け継ぎながら、陰陽道の発展に寄与してきました。

安倍晴明の影響

安倍晴明の影響は、彼の死後も続いています。晴明神社は、彼の神格化が進んだ場所であり、多くの参拝者が訪れる場所となっています。晴明の技術とその家系は、陰陽道の発展に大きく寄与しました。彼の技術は、現代でも多くの人々に影響を与えており、陰陽道の重要性を再認識させるものとなっています。

晴明の生涯や彼の業績、そして彼がどのようにして神格化されたのかを知ることで、彼の影響力の大きさを理解することができます。彼の技術とその家系は、陰陽道の発展に大きく寄与しました。彼の技術は、現代でも多くの人々に影響を与えており、陰陽道の重要性を再認識させるものとなっています。

まとめ

この記事を通じて、安倍晴明の生涯や彼の神格化の過程、そして彼の子孫の活躍について深く理解することができます。晴明の技術とその家系は、陰陽道の発展に大きく寄与しました。彼の技術は、現代でも多くの人々に影響を与えており、陰陽道の重要性を再認識させるものとなっています。

2020年12月1日火曜日

先人たちの底力 知恵泉 「関孝和 真理の追究に加減はない!」

先人たちの底力 知恵泉 「関孝和 真理の追究に加減はない!」が12月1日に放映されました。




江戸時代には世界に誇る天才たちがいた。そのひとりが、「算聖」と呼ばれた天才数学者・関孝和。鎖国政策のなか、関は数式を表現する方法を編み出し、日本式の数学「和算」を、世界のトップレベルにまで引き上げた。世に知られる「発微算法」を著し、輝かしい業績を残した関孝和とは、どんな人物だったのか。なぜ江戸時代に数学の才能を開花させることができたのか。謎が多いその人生を掘り起こし、その生き方から知恵を探る