2018年1月31日水曜日

尾上松也の謎解き歴史ミステリー 第26回 もうひとつの関ヶ原~西軍敗北の謎

尾上松也の謎解き歴史ミステリー 第26回 もうひとつの関ヶ原~西軍敗北の謎
が1月31日の再放映されました。


「宰相殿の空弁当」などで関が原の合戦の本戦での毛利の不可解な行動は、
徳川と毛利との間に事前に密約があったという話でした。

毛利がその時に狙っていたのは、四国伊予の加藤嘉明領であったということが説明されました。

ブラタモリ #93 彦根

ブラタモリ #93 彦根 が1月31日に再放送されました。


タモリさんが彦根城の堅固さと知る回でした。
彦根は北国街道と中山道の通る交通の要衝であり信長・秀吉・家康も信頼できる武将を
配置していたようです。


2018年1月30日火曜日

先人たちの底力 知恵泉 「幕末 孤高の挑戦者 佐久間象山 空気を読むな!」

1月30日に、「幕末 孤高の挑戦者 佐久間象山 空気を読むな!」が再放映されました。
幕末の兵学者、佐久間象山の話です。


昨年の真田丸で大泉洋さん演じる真田信之を紹介する時に、
父:昌幸、弟:信繁(幸村)と「犬伏の別れ」で徳川側につき、幕末に佐久間象山を輩出した松代藩の初代藩主となりましたと紹介されるほどの人物です。

エジソンのように失敗を恐れずに何にも取り組んだ人物であったようです。
信念の強い人だったと思います。

番組を見るまでは、吉田松陰の黒船密航をそそのかして、9年間の蟄居を命じられたのは知らなかったです。

9年間の蟄居のあとに、攘夷派の志士が跋扈する京都で西洋趣味の姿の馬を乗り回していたそうで、その京都で暗殺されます。

番組でもありましたが、そこのところは空気を読まななさすぎのような気がします。


2018年1月29日月曜日

にっぽん!歴史鑑定 #145「清少納言と紫式部 ベストセラー誕生の秘密」

にっぽん!歴史鑑定 #145「清少納言と紫式部 ベストセラー誕生の秘密」
が1月29日に放映されました。


日本最古の随筆作品である「枕草子」と世界最古の長編小説といわれる「源氏物語」
の作者の清少納言と紫式部の関係を検証する内容でした。

清少納言と紫式部は、ともに同じ一条天皇の妃でした。
清少納言が仕えた主は、中宮・定子、紫式部が仕えた主は、中宮・彰子です。
そして、定子の父・藤原道隆と彰子の父・藤原道長は実の兄弟です。
道隆と道長は、自らの娘を天皇と結婚させ、その子供を天皇として即位させることで 自身は保護者・後見者として摂関政治を行おうと考えていたのです。
清少納言と紫式部はライバル関係であったと言われていますが、
正確には二人が仕えた妃やその親こそが政治的ライバル関係でした。

二人が仕えていた妃は、同じく一条天皇の妃でしたが、実は、仕えていた時期にラップした期間はありませんでした。定子は24歳の時、三人目の子供を出産した直後に、亡くなってしまいます。1000年のことです。
紫式部が、宮仕えを始めたのは1005年もしくは1006年のことだと言われており、
二人は直接会ったような面識はないはずとされています。


2018年1月28日日曜日

大河ドラマ 西郷どん 第4回「新しき藩主」

大河ドラマ 西郷どん 第4回「新しき藩主」が1月28日に放映されました。




嘉永3年(1850年)、高崎崩れ(お由羅騒動)で沢村一樹さんが演じる赤山靭負(ゆきえ)
が切腹し、父の吉兵衛が介錯を務めた。又、大久保正助の父は島流しになって正助は城勤め
の任を解かれ大久保家は困窮することになりました。
これ以後、世子・島津斉彬の襲封を熱望するようになっていました。
老中阿部正弘の調停により、斉興は隠居し、斉彬が家督を継ぐ事となりました。
創作だと思いますが、斉興と斉彬がロシアンルーレットをするシーンは迫力がありました。

風林火山 第43回 信玄誕生

風林火山 第43回 信玄誕生 が1月28日に放映されました。


弘治3年(1557年)には将軍足利義輝による甲越和睦の御内書が下されたところから
始まり、晴信は受託の条件に信濃守護職を要求し信濃守護に補任されました。
これに対応して長尾景虎は上杉憲政の関東管領を継いでいくことになります。

永禄2年(1559年)2月に晴信は長禅寺住職の岐秀元伯を導師に出家し、「徳栄軒信玄」と号したそうです。原虎胤、真田幸隆、山本勘助もこれに従い出家しました。

第3次の川中島の合戦では、決戦を避けた形になりましたが、
第4次の川中島の合戦に進んで行くことになります。

2018年1月25日木曜日

片岡愛之助の解明!歴史捜査  #100 真田家のすべてを見届けた男!最後のキーマン・昌幸の弟、真田信尹を追跡せよ

片岡愛之助の解明!歴史捜査  #100 真田家のすべてを見届けた男!最後のキーマン・昌幸の弟、真田信尹を追跡せよ が1月25日に放映されました。


真田氏のことを知らない歴史ファンはいないと思いますが、
昨年の大河ドラマの真田丸で栗原英雄さんが好演するまで、
その存在を知らなかった人も多いと思います。
昌幸公の影として仕えたことを伝える話でした。

武田信玄公の命のより名門・加津野氏(和野、鹿角)の名跡を継いでいましたが、
武田氏滅亡後に真田性に復姓して信尹と改名したようです。

北条氏、徳川氏、蒲生氏から再び徳川氏と主を変えて行きましたが、
甲斐に4000石を与えられて、その後5200石まで加増されて子孫は旗本として徳川氏に
仕えて子孫が4系統に分かれてその内2系統が明治維新まで存続しました。

大阪夏の陣の時に「日本一の兵」と評された真田信繁(幸村)を徳川家康公の命により
「信濃国10万石を知行する」と誘ったが一蹴された。
また信繁(幸村)の首実検を行ったなどの逸話が残されています。

それにしても番組中の真田昌幸公のイラストが草刈正雄さんであったり、
真田丸で演じていた栗原英雄さんを特派員に起用したりNHKに乗っかり過ぎだと
思いました。